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226/1096 自分を持つより、手ぶらでいこう!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で226日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

226日目、今日は1時間半だけ眠って、朝なんとかして起きた。眠かった・・こういう日にはあとでもしかするとお昼寝の楽しみがあるのがこれまた嬉し・・・!
とは言っても朝早くわたしが起きなくてはならない理由はどこにもなくて、家族もわたしが好きなだけ眠るのを歓迎してくれる。でも活動時間一緒にスタートさせたくて起きてしまった。。娘が風邪をもらってきてお休みしているから、おしゃべりが楽しい。今日は夫も家で仕事をしていて、みんなそろってみんなでバラバラに好きにしている日。

わたしが毎日投稿を書いている目的を家族は初めのうち理解しておらず、「なんで毎日なの!大変じゃん!」と心配してくれていたが、最近は黙って協力してくれていて、ほんとうにありがたきことだ・・・今日もすべてに支えられて書けて嬉しいのう・・・いつからこんなに感謝ばっかりする人になっただろう。人はわからないものだ、ほんとうにわからない。

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わたしは昔、赤ちゃんや子供を可愛いと思う感覚がわからなくて、他の人が「可愛い〜!」と感激するのを見ると不思議だった。おかしいな、自分が見ても可愛い感じがしないんだがな・・・・と思っていた。母に、人間の子供を見ても可愛くないのどうしてだろう、猫を見たときのようには可愛いと思わないよ?と言ったら、大人になって自分の子供を産んだら可愛いと思うから心配するなと言われたものだった。しかし、なぜ自分には小さな子を可愛いと思う感性が備わっていないのだろうと、ひとり暗く思い、そこに劣等を感じていた。

わたしは、隣人のために祈りたいという気持ちを知らなかった。どんなことも、よそのお宅のことだから関係ないと思っていた。というか、むしろ構ったり詮索したりしてはならないというのが強まりすぎて、他所様のことを気にしてはならないのだとすら思っていた。

小学生だったある日、近所に住んでいた同級生のMちゃんのお母さんが、お向かいさんのご主人と不倫関係にあるということが発覚した。というのも、同じく近所にいた同級生の母親がそれを知った途端、近所中の出会う人出会う人に吹聴するだけで飽き足らず、学校にまでわざわざ出向いて校長にまで「教育に悪い」という体で知らせてしまい、教師を始め学校関係者の誰もが知るところとなってしまったのだ。それをした人物は当時、わたしの知る限りでも最高峰のクソババアであった。

Mちゃんは幾日か学校を休んだ。すると、吹聴母の娘の提案で、Mちゃんの様子を見に行くという名目でMちゃん家へ担任の教師と近所に住む生徒とで訪問することとなった。それには、吹聴娘と、わたしと吹聴娘の親友が参加することになった。その裏には、吹聴母とその娘の、根掘り葉掘り聞き出そうという魂胆があるのはミエミエだった。吹聴娘とその親友は、遠足に行くのよりも嬉しそうだった。家にいたMちゃんは落ち込んで泣いていた。
わたしはしかし誰よりもひどくて、それでも特にMちゃんにもMちゃんの家の騒動にもまったく関心が湧かなかった。そのすべてに、とくに感情が湧かず、どうでもよいことにしか見えなかったのだった。

さらにわたしは、目には目を、歯には歯をのハンムラビ法典を尊んでいたため、復讐心をもつのを本気で当たり前だと思っていた。
わたしが子供の頃に、我が家で猫を飼い始めた。その頃に住んでいた借家の隣家の夫婦が、我家の猫が彼らの家の塀の上を歩くことに腹を立て、家を囲むすべての塀の上に鉄条網を何本も厳重に張ってしまった。
我が家の猫は知らずに飛び乗ってまんまと怪我をし、肉球や爪をひどく損傷してしまって、しばらくびっこを引かねば歩けなくなってしまった。わたしはそれがショックで痛ましくて、隣家の住人を魔太郎並みに恨んだ。そのあと何年もしてから、その家の主人が痔の手術で入院したと聞いて、ほらみたことか、天罰が下ったに違いない!と痛快に思ったりしたものだった。

わたしはこのように、子供も赤ちゃんも可愛くねえしずぇんずぇん興味わかねえ+他人の痛みは他人の痛み俺の知ったこっちゃねえんだ+復讐心いつでも持っていてくれるかな?いいとも~!、という心の閉じた子供だった。その頃の感覚をよく覚えていて、今になってみれば、ちょうど麻酔がかかっているような感じだった。どうにも表現が難しいのだけれど、膜の中にいて、外界のことを心全開では感知していないような感じだった。悪意があってそのあり方を選択していたつもりはなくて、こんなあり方しか知らなかった、自然にそうなっていた、というのが正直な感覚だ。。。

そんなわたしだったが、今となってはそれらがすべてひっくり返ってちょうど反対になり、いわばまさかの大逆転を遂げた。これらの大逆転が起こるまでの間、何度も大きな気付きを連続で経験できたことが本当に幸いだった。自分にとってそれは、ラルフ・ブライアントの四打数連続ホームランによる近鉄バッファローズの奇跡の大逆転みたいなものだった。(1989年10月12日・対西武ライオンズ優勝争いにて達成・ほんと神すぎるから動画で見て

わたしは出産を機に、別の次元に移動したかのように世の中が違って見えるようになった。人間の子供というものがこんなに可愛かっただなんて。
以降は子供が傷つけられた話を聞くと、拳を震わせてやめたれやと思うようになった。子供というのは世に言われるように本当に可愛いものだった。人々の言うことがようやくわかった。まさかのまさかだが、子供は自分の子だろうとそうでなかろうと超絶可愛いのであった。自分がこんなふうに思うなんて、意外すぎてほぼ超常現象であった。

それから、自分が社会に出てみたら、生きるのはなかなかに大変だった。わたしはそこで自分が苦労してみてやっと、他の人の気持ちを想像するようになった。他の人の悲しい話はわたしにも悲しく、そばで人が苦しんでいることは、こちらも同じように胸痛むことだった。いい人になったのではなくて、これが人間の本来の状態で、元々備わっている機能が発揮されているにすぎないと感じる。それからわたしは意識や人間のあり方についての探求を始めた。これが最高に良かった。わたしはどんどん人間のことを学ぶことが面白くなった。子供の頃の自分は、他者の感覚に感応することを知らないままだったなと思う。まるでその機能が眠っていたかのようだ・・

そして、わたしは復讐心なる悲しいものをいつの間にか破棄していた。上記の2つが目を覚ましたら、自然と自分になじまなくなっていたのだった。自分に暴力をふるった人にも、お金を持って逃げてしまった人にも、復讐したいとはみじんにも思わない。みな、可愛い子供だった人達だ・・・ただ、その人がそれを悔やんで、それによって幸せになってくれれば一番いいことと思う。だから逆に、きっと幸せになれよと思う。

こうしてわたしはやっと、人並みの人間らしさを取り戻すことができた。それが自分で、本当に、べらぼうに、心の底から嬉しいのだ。よかったじゃん、お前!!とほんとうにほんとう~~に思う。

だから、わたしは他の誰かが以前の自分のような状態にあっても、それを悪だとは思わない。ただただ、そこが眠っているだけだと思うのだ。だから責められないけれど、気づくと気分がいいよ!とは思う。

立派なことを言うよりも、社会で大成功するよりも、何もかも自分の思い通りにしようとするよりも、わたしは自分にご縁のあった人とどれだけ心のやり取りができたかどうか、そのほうがずっと大切なことだとつくづく思う。
それより大事なものがあるだろうか。人生で出会う人たちとの心豊かなやり取りを捨ててまで得るべきものなどあるのだろうか?

わたしは、生き方なんてどうでもいいと思うし、自分を持っているかどうかなんてどうでもいいと思う。自分らしさなんて、握るため、大切にするためというよりも、捨てるためにあるようなものだと思う。
世の中で、生き方を指南している人は多いけれど、そもそも何かを目指すなと言っている人は少ない。自分を持て、というのはどこかで聞きかじった体のいい言い回しだと思う。はっきり言ってクソくらえだ。嘘をつくなと思う。いいから遊べよと思う。そんなことを考えていると安眠などできない。ぐっすり安眠できない人は人生も安らがないものだ。

自分というものはあるようでないもの。だから、「これが自分だ」と言いたくなるようなこだわりは捨て続ければいい。自分を握っているよりも、手ぶらな方が気楽だ。
「これがわたしなんです」と堂々と言える人になることなんかよりも、自分にとって嫌な思いをする原因になった人の幸福を願うような感覚でいるほうが、はるかに安楽だ。それには、この世を遊ぶ感覚が鍵になる。自分を守ることに真剣になりすぎると、遊びだと忘れてしまうからね!

というわけで、今日はわたしが心の閉じた冷たい子供だったということと、そこから変わったのが嬉しかったこと、「自分を決めつけず、人との関わりを十分に味わえるのがいいね、さすらばきっと人生は遊び心と気楽さのうちに歩めましょうぞ」という魅惑的なお誘いについてであった。(笑)

それではまた、明日!

【初夏の特殊なワークショップのお知らせ】

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』
『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』
参加者募集中です。

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』

あがり症を持つ方のための、あがり症克服に特化した日帰りのワークショップです。わたし自身がどんなに場数を踏んでも抑えようとしても治らなかったひどいあがり症を克服したある方法を、ワークに落とし込んだもの。
このワークショップでは、あがりを抑えようとせずに自然に中和し鎮める方法を伝授します。あがり症を克服したい方に、ぜひとも知ってもらいたいと思っています。人数限定ですので、お申込みはお早めに。
当日がとても楽しみです。
(※残席3です)

『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』

こちらは幸せな恋愛や夫婦関係のためのワークショップですが、根本には自分自身と恋をすること、目の前の人と響き合うこと、本当の自分で誰かと関わることをワークを通して体験するものです。
ワークはとても楽しめるものでありながら奥深い体験につながっています。こちらも、ピンと来た方にぜひ体験してほしいものです。
(※残席2です)

【九宮秘行のワークショップ、募集が始まっています】

人生を限りなく透明な目で見通し、本来の自分のあり方を取り戻す九宮秘行のワークショップ。今夏の受講生の募集が始まりました。

第三部まで修了すると師範代のライセンスが取得でき、九宮秘行講師(壇珠と清蓮)主催の九宮秘行ワークショップ内で共に「九宮秘行 第一部」の指導に当たることができます。

自分の本質を知り、枠を超えて人生を歩みたい人へ。
自分の可能性を探求し、本来の望みを体現しましょう!

道家茅山上清派や様々な流派の数々の秘儀秘術の本格的な修行を経験してこられた清蓮さんとわたしとで一緒に「身体・意識」それぞれの面から練りあげたワークを、ひとつひとつ進んでいただきます。ご自身の探求とともに、人間の可能性に驚く純粋な体験のできる場です。
どなたでもゼロから参加できます。一緒に九宮秘行を伝えていきませんか。

・瞳の純粋さを思い出す
・人生に遊び心を取り戻す
・自分で自分に贈り物を与えられるようになる
・人前で安心して存在できるようになる
・深い呼吸のできる体になる
・自分自身や他者、 世界についての思い込みから自由になる
・生きている間に魂存在としての自分を思い出す
・ひとつのものが全てであって、全てがひとつであるという感覚を体験する
・神通力を開く

などの効果が期待できます!ワクワクした方は、ぜひ!!詳しくは九宮秘行のホームページをご覧ください。

【自分の枠を突破しましょう】

『秘行×神聖幾何調身法』

身体のアルケミストであり、多くの求道者たちへの指導経験を持つ清蓮くんとの『枠を越えていく』ためのトークライブ&ワーク伝授を行います。

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授があります。

大きい会場に変更したため120名まで入ることができます。
(※現在残席5となりました!)
みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

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