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193/1096 みんなでひとつの幸福

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で193日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

193日目、今日は毎日投稿を死守することへの「当然感」が静かに増していることに気がついた。最初から、死守するぞ~と思ってやっていたけれど、それが徐々に「死守しやすよそらぁ当然」に変わってきて、それが増している。
水面下での変化が認識できるほどまでに育って、水面からぽっと顔を出して、ひっそりと蕾を付けているのが嬉しい。

泥の中から伸びたそれが、蓮の花みたいに、清く咲いてくれたらいいな、、と思う・・・わたしは泥だけれど、それが養分になって誰かを喜ばせる何かを咲かせられたら嬉しくて泣くぜと思う・・・・・

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しばらく前にTwitterを再開してから、素敵な人をどんどん見つけてしまう。
素敵な人を見つけると、とにかく嬉しい。今日はそこから思ったことを書いてみようと思う!

SNSを通してさまざまなの人の発信に触れると、「ああ、多くの人がそれぞれに皆、一生懸命に自分を幸せにしておられるんだな・・」と改めてリアルに思う。

それを目にするたびに、自分も含め多くの人を思って「すごいし、ご苦労さまだし、なんかもう慈悲的ななにかで胸いっぱいになるよありがとう!!」という気持ちが湧いてくる。

わたしたちは、自分ひとりだけのために良いこと、というのはできないものだ。わたしたちがひとつのものだから、自分に良いことをすると、うっかり世界に良いことをしてしまっている。それは、同じ部屋に複数の人が住んでいて、自分が綺麗なところにいたくてそこを掃除するとどうしてもみんなのためにもなってしまうのと同じように。誰かが幸せでいてくれることは、この世界に幸せを増してくれているということなのだ。

だからわたしたちが誰かの幸せを喜ぶのは理にかなっている。みんなそれぞれがそれぞれを幸せにしてくれていることは、わたしを幸せにしてくれているのと同じだ。。

わたしがこのことに気がついたときに、どれだけ世界の見え方が変わったのかを、どうすればここに書き尽くせるのだろう。それまでの自分の世界を灰色だったなと思う。気がついていないときのわたしはケチだったと言える。それだけではない!今になってみれば横暴だったし、人間不信だったなと思う。

どこかの誰かに良いことが起こっても、まったく自分と関係のないことだと思っていた。ありがとうという気持ちなんて湧いてきたことがなかった。それどころか、わたしはあまり他者に関心がなく、ふうん・・・と思うだけ、ということが多かった。誰かが結婚したことを聞いても、出産したことを聞いても、三歩歩けば忘れていた・・・・

同業者とはお客さんの取り合いだと思っていたし、喧嘩すると発想が「殺るか殺られるか」的だったし、レジに並ぶときに横入りされたりすると「おのれこの恥知らずめ・・!」などと思っていた。生きることがどこかサバイバルだった。常に他者VS自分だった。

そんな自分だったから、あ!!違った!!全部ひとつだった!!と思ったあとに、ちょっと待て、自分だけの幸せって、なかったんじゃないかよ!!とわかったあとの世界は、モノクロからパステルカラーになったも同然だった。いろいろごめん、いろいろアホだった、と思うと、喜びと恥とでぐしゃぐしゃになった。

だからこうして考えると、嫉妬するのは本当に無意味なことだと思える。でも、わたしは嫉妬は使いようだと思っている。そこには秘めたるパワーがあるのだ!

上に書いた通り、以前のわたし自身は他者への無関心がひどかったから、まず嫉妬心を持つところまでいかないままだった。自分と他人を比べることがあっても、すぐに「自分、なんかおかしいな」「わたしはなにか欠けてるな、足りないな」と思った時点でそれを嫉妬に変換する前に、ガク・・・っとして落ち込むのみで、それ以上の闘志のようなものが湧いてこなかった。

わたしが、自分と他者とのギャップに対して闘志が湧いたのは、YouTuberのHIKAKINさんがきっかけだった。彼はあんなにも燃えて生きているのに、かたや自分はどうだ?!と思った。HIKAKINさんの努力を知れば知るほど、泣かずに動画を見れなくなって、彼の動向を夢中で追った。彼は猛者だった。楽しそうで、嬉しそうで、自分を使って信じて進む姿をカッコいいと思った。そう思えば思うほど、自分に対して「甘ちゃんめ!!」と思った。

それからわたしはさらに自分の枠を取っ払うことに夢中になった。これまで設けてきた限界を信じなくなった。自分の「自分はさすがにこれが限界だろう」なんていう予測なんてちゃんちゃらおかしい幻想だ。そんなものは裏切って進もうと思った。当時自ら低く見積もっていた自分自身への評価による予測が、それからことごとく外れて本当にいい気味だ。 自分自身に、その予測、見事に外れたり!と言いたい。

嫉妬、というのとは少し違うかも知れないが、若い頃、他者に無関心で、すごいな!と思う人がいても自分のパワーにできなかったころは、わたしはひとりで進んでいた。それもとても良い経験だったけれど、今、誰かの幸せに「ありがとう」と思いながら、同時に憧れる人に力をもらえる自分がとても楽しい。

今はHIKAKINさんだけでなく、実際に会ったり、ネットを通じて出会う「自分を幸せにしている人」にとても感謝を感じる。誰かがその人自身を幸せにしたときの喜びは、自分と同じ部屋にいる人が、そこを飾り付けてくれたり、掃除してくれたり、快適にしてくれているのと同じように、それが世界に波及して、わたしたちのパワーとなり、幸福となる。言い方を変えてみれば、他者と自分とには境界線がないもの。

難しいことを考えなくても、至極シンプルに、誰かが幸せになったドキュメンタリーを見て喜びで感泣したり、ドラマを見ていて誰かが辛い目に合う場面でたまらなく悲しかったりする、誰にでも備わっている感覚を軽視しないでいよう・・・!わたしたちは本来、ひとつだと知っている存在なのが嬉しいことだ・・

今日も、自分自身を喜ばせてあげよう。自分のほんとうの喜びは自分にしかわからないから、みんながそれぞれ自分を担当しよう。誰かを喜ばせるのが嬉しいなら、それを自分のためにやると思ってみよう・・・
殺るか殺られるかベースのランボー的な人物だった自分がこんなことを思うなんて、自分でも嬉しい。

今このときも、これを書いてとても嬉しい。参ったな、いいことしちゃったな。今、良い気分のあなたにも、ありがとう。どうか良い日をお過ごしください。

というわけで今日は、あなたの幸せ、みんなの幸せ。という感覚についてであった!わたしたちはひとつ、、嬉しいね、、
それではまた、明日!!

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