見出し画像

「絶対」とかない

オーストラリアに滞在してもう三年ほどになる。色々なご縁が重なり現地では多くの知人、友人を作ることができたのは有難い。

3、4ヵ月ほど前になるだろうか、知り合いの一人から、「レイブ」と呼ばれるものに誘われた。いわゆる山奥のこじんまりしたところで行われる音楽フェス一種であり、24時間ガンガンにDJが音楽を鳴らしているタイプのやつだそうだ。

誘い文句として、彼はこんなことを言っていた。


「行ったら絶対人生観変わるから!!」


なるほど、そこまで言うからには余程凄いイベントなのだろう。レイブには生まれてこの方参加したことがないし良い経験になるのではという期待などもあって、チケット購入まで踏み切ったのだった。


山道を2時間ほどドライブしてもらい、ようやく会場へ到着。合計3日間を滞在したのだが、


楽しくなかった。


そして僕の人生観は、一切変わらなかった。


聴く音楽の趣味は幅広く、会場で流されているものは好みのものが多くあったものの、長時間ひたすら音楽が聞こえてくる環境に居続けるのは少し疲れてしまった。またテントで滞在していたのだが、外が寒すぎてほとんで寝ることができず、睡眠不足により終始機嫌が良くなかったことや、それなりに入場料が高かったこと、そして何より前述した発言による過度な期待なども相まって、オーストラリア生活のワースト3に入ろうかという思い出の一つとなっている。


この件で改めて身に染みて感じたのは「絶対」なんて言葉信用しちゃいけないということだ。特に「絶対楽しい」「絶対面白い」なんて発言は横柄に思える。世の中には自分と同じ種類の人間しかいないと思っている奴による価値観の押しつけに近い。最も、「絶対人生観が変わる」などというペラッペラな言葉を疑いもなく信じた僕も浅はかだったといえるが、「絶対」なんていう強い言葉をそう軽々と使わないでほしい。


最近注射に関連したことがいずれの国でも話題に上っており、国民の間でもいわゆる賛成派と反対派で僅かながらギスギスした状態を作り出しているように思える。個人的には、新しいものに対する怖れや自分の体があまり丈夫ではないということ、シンプルに痛いのが嫌といったところからできる限り打ちたくない、という方向性ではいるのだが、「俺は打ちませんから!」とドヤ顔で言ってる人を見るとちょっとゲンナリしてしまう。逆に「絶対安全ですよ」といった発言もあまり信用できない。何事も「そうなのかな」くらいの目線でニュートラルに見ることが大切なのだろう。「思い込むことは何より恐ろしいこと」とは吉良吉影も言っているし、人生の格言でもあると思う。

最も、断定的言い方をする当事者たちもそこまで発言に強い意味を含ませてるつもりではないのかもしれない。だが、「信じるか信じないかは、任せるよ」といったスタンスでいつつもそういった言葉を軽々と振り回す時点でちょっと敬遠してしまう。会話においてどういった言葉を用いるかは、人となりが分かることはもちろん、その人が言葉の持つ力をどれだけ信じているかにもつながってくると思う。


今回は少し穿った目線の記事になってしまった。ということは現在、どちらかというと機嫌が悪いということなのだろう。つまりそういうことです。

寝不足です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?