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彼の姓にしなかったことで、母の人生も好転した話③

*この話は「彼の姓にしなかったことで、母の人生も好転した話②」の続編です。

「何もない」母の決意

 「たかが女子短大卒で何もできないお前に、口出しする資格なんかない」
当初、父から浴びせられる言葉をそのまま内面化した母は萎縮し、父に怯えていた。

 しかし、日々殴られ続け外出も許されず、精神に異変が生じ始めた11歳の兄を見て、「私が怖がっていたら、この子はもっと怖いはずだ」と自分を奮い立たせ、暴力をやめなければ離婚だと凄んだ。

 塾長としての体裁を保つためにも離婚だけは避けたかった父は、今後兄と私に一切口を出さないことを約束する代わりに、その日を境に一切生活費を入れなくなった。

 兄、小5。私、小3。「女の子はお料理とお裁縫だけできればいい」という周りの大人たちの言葉を信じて疑わず生きてきた母の「社会復帰」は思わぬ形で幕を開けた。

 母は隣町の工場で働き始め、私と兄は鍵っ子になった。

 両親の間で起こっていることをまだ抽象的にしか理解できなかった私でも、今でも覚えていることがある。

 ある日、母が帰宅後突然「今日はジャスコでなんでも買っていいよ!」と言い、兄と私を閉店間際のジャスコに連れ出した。何となく「うちにはお金がない」ことだけは察知していた私は、母からの申し出に驚きながらも、急いで選んだシルバニアのうさぎの赤ちゃんを買ってもらった。

 その日は、母の十数年ぶりの給料日だった。シルバニアのうさぎの赤ちゃんはおそらく欲しいものではなかったけれど、「よしよし、それがいいんやね、買おう買おう」と、嬉々としてお会計をする母がとても嬉しそうで、私も嬉しかった。

 私が18歳になると同時に、両親の結婚生活は協議離婚という形で終止符を打ち、父が家に残り、母と兄と私は別々の場所で暮らし始めた。

 母の新居は、わずか3畳のアパートだった。父からの慰謝料は、1年足らずで支払いが途切れた。

 離婚後も私と兄の社会生活に影響が出ないように、そして、我が子と別々の姓になりたくないという強い希望もあり、母は父の姓のまま生きていく選択をした。(離婚後、旧姓に戻すことは強制ではない)思い出すだけでも忌々しい元夫の姓を名乗り続けることは、容易い選択ではなかったに違いない。

自分の結婚と姓

 あれから15年。

 私のパートナーとまだ見ぬ我が子がこれから名乗る苗字は、そんな父の苗字なのだ。

 結婚することが決まった時、彼が私の姓にしてくれると喜んでいたのも束の間。34年間何の違和感もなく共に生きていた自分の苗字に対して、突然強烈な「異物感」を感じるようになった。他人から預かった財布を早く自分の手元から離したい、そんな心地の悪さを感じ始めたのだ。

 このままあの人の姓になるのは嫌だ。そして自分の子どもにまであの人と同じ姓を名乗らせるのはもっと嫌だ。

 これまでも選択的夫婦別姓の実現を願ってはいたものの、この時ほど強制的に夫婦を同姓にさせる日本の制度に対して怒りを感じたことはなかった。

 怒りに任せて調べた私は、私が母の旧姓になるという選択肢があることを知った。

 ずいぶん前に他界した祖父母の話をしては涙ぐみ、両親への愛を口にしていた母。私の結婚のタイミングで彼女も旧姓に戻る選択は、とても運命的なことのように思えた。 

 私と彼は母の住む大阪に出向き、姓を変えることについて、そしてそのためには以下の手順が必要だということを伝えた。

1. 母が家庭裁判所に申し立て、旧姓に戻す
2. 私が母の戸籍に入籍して母の旧姓になる
3. 私が結婚して、彼が私の姓になる

 久しぶりに会いにきたかと思えば「女性だからという理由で苗字を変えるのが嫌だ」とかイマドキなことを言い出す娘を、母は不思議そうに見ていた。ジェンダーと姓に何の関係があるのかも、あまり理解できていないようだった。

と同時に「自分が今更旧姓に戻れるなんて考えたこともなかったし、そんなこと一人じゃできないと思ってたけど、そうやね・・・。ふと何で私は◯◯(父の姓)なんやろう、この人誰なんやろうって、すごく変な気持ちになることはあるのは確か。」とぽつりぽつりと話し始め、「よし、わかりました。」とその場で決心してくれた。

 母の負担をできるだけ軽くするために、私は早速全ての書類を揃え、改姓の準備に取り掛かった。

(続く)

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