見出し画像

夫婦で暮らす場所(の決め方)

正解なんてものはなく、常にふたり、あるいは家族でそのときの最適解を選ぶことしかできないと思うけれど、結婚という形をとったあと、上記のことを心の何処かでずっと考えているような気がする。

どこで、どんなふうに、生きていくのか。

8時間で家族になる

夫がドイツのオフィスから面接後に正式なオファーを受けたのは、2018年の年明け。条件を含んだ契約書の草案が送られてきて、返事を催促され、考えた末にOKの返事を送ると、代表からは「いつから来れる?4月?は遅いな。じゃあ3月からね」。

となると、2月後半にはドイツへ立たなくてはならず、その時点で出発まで約1ヶ月半。結婚を見据えて同棲していたものの、まだその形をとっていなかった私達は、なにはともあれ入籍することにして、その段取りが差し迫った。他の可能性も検討中のようだったので、結果が出て今後の生活スタイルが決まるのはもう少し先かなと呑気に考えていた私は焦った。

そこからはスピード勝負。両家顔合わせを段取り、一応縁起を担いで決めた顔合わせの日の朝に婚姻届に記入し、顔合わせの場で双方の父親から証人欄に署名してもらい、これもまた同じ日の時間外に役所に提出した。

朝にふたりで記入してから提出までわずか8時間ほどの、完全なペーパーワーク。「写真撮りますか?」と役所の方に言われなければ、写真すら撮っていなかったかも。その5日後に、夫はドイツに旅立った。

私が日本での仕事に一区切りをつけて退職し、ビザ申請のための必要書類などを携えてドイツに向かったのはそれから約5ヶ月後。

ひとりになったその5ヶ月の間、いろいろな思いが頭の中を巡った。

私はドイツに行ってなにをしよう?

「私はドイツに行ってなにをする?」「仕事はみつかるのかな」「相手(夫)のコミュニティに頼らず自分のネットワークを作れるのかな」「お互いやりたいことが別の場所であるなら、別に暮らす選択肢もありなのかな」

当時はデザインオフィスで広報・採用などの対外的な仕事をしていて、大変だったけれど働くことは好きだったし、それなりの裁量とやりがいがあった。仕事から離れることで、自身の経済的な基盤(収入)を失うこと、それがどう影響するかが気にかかっていた。

また、夫を見送ってから2人で住んでいたアパートを解約し、ドイツまでの数ヶ月間は友達の家に居候をしていたので、それが気ままで楽しかったのもあり、自身の生活スタイルが大きく変わることへの不安も募った。

つまりは、少なからず今までのような自由がなくなってしまう気がしていた。

思えば、大切なパートナーと結婚したものの、その実感がないまま一旦別居になったので、「家族」になった感覚が薄く、先が見えないまま「彼がいるからドイツにいく」という理由に自分自身が納得できていなかった。

行くからにはなにか理由がなくちゃ、と思っていて、「家族がいるから」では弱いような気がしていたのだ。「夫婦は一緒にいたほうがいいよ」と言われ「そうだよね」と思う一方で、「でも・・」と思うところがあったのも事実。正直なところ、自分の人生の選択なのに、それが家族(夫)であれ、誰かの都合で決まっていくことに違和感を拭えなかった。

夫が海外での仕事を視野に入れて就職活動をしているのはもちろんそばで見ていたし、今後についての話も2人でしていたのに、それが現実になると、「夫の仕事をきっかけにして全く知らない土地・文化圏で生活を新たに始める」、その覚悟をするのに、思いのほか時間が掛かっていた。

20代後半に当時の仕事を辞め1年半デンマークで暮らした経験があったが、それは100%自身の意志であり、経験したい・見たい・感じたいことがあって決めたこと。「(ドイツで暮らせるのは)よかったね」などと知人に言われると、「今回は全く状況が違うしなぁ。。」と、気持ちの置き場の違いにも戸惑っていた。

「合わないと思ったら帰ってこればいい」

ドイツ行きの日程を決めきれていない頃、ドイツ人の元同僚と会う機会があった。その方はアメリカから日本に来ていたが、転職して再度アメリカで新しい仕事が決まったので、近々渡米する予定だった。日本人の奥さんは日本で仕事をしているので一緒には来ないという。

「ドイツ行くの楽しみ?」ときかれ、歯切れの悪い返事をしていると「じゃあ、なぜ行こうと思うの?」と訊かれた。ぐさっときた。

「好奇心かな」と曖昧な回答をした。すると彼は「僕はドイツ嫌いだけどね!」と言って豪快に笑ったので、私も素直に不安を伝えた。そうすると、「合わないと思ったら帰ってこればいいんだよ!」と明るく言われた。「僕の奥さんもアメリカでは仕事ができなくて、ネットワークも少なくてあまり合ってなかったみたい。だから今回も一緒には行かないよ」

あっけらかんと言う。そうか、私にもどこかで「夫婦は一緒に」みたいな考えがあったな、でも、やってみて無理なら拘る必要はないんだな、と思った。

画像1

夫の人生・妻の人生 そして家族

転勤、転職、留学、家族の事情、現状の生活基盤を築いた場所から新しい場に移る可能性は、暮らしていく中で大いにある。なんとなく一般的に、夫側の仕事の都合が多いような気もするけれど、そこでどうするかは家庭の問題。

地元の友人のひとりは、旦那さんに東京赴任の話が出たとき、「子どもは来年から小学校だし、それを見越してここでのネットワークを作ってきたんだから、決まったら単身でね」と言ったら、旦那さんが同僚に「奥さんパートなのに一緒にこないの?」と言われたらしいと非常に憤っていた。「仕事のステータスは関係ない、私には私の人生を楽しむ権利があって、今の暮らしと(これまでに培ってきた)子育て環境に満足しているのに、知らない土地に行く理由がない」と言い切っていた。うん、よく分かる。結果、赴任の辞令は出なかったようだけれど。

またある友人は、旦那さんが海外赴任中で、彼女は彼女で日本で仕事をしていたが、医師を目指して医学部に入学し、大学のある地に引っ越した。離れた土地で、夫婦がお互いのやりたいことに邁進している。

夫婦の在り方も千差万別。私の場合はどこかで「夫婦は一緒にいたほうがいいかな」という考えがあって、夫もまずは一緒に暮らすことを求めていて、結果、そうなった。迷いは多々あったが、新生活への好奇心が勝った。

正直なところ、今の時点でドイツに馴染んでいるとは言い難いので、これでよかったのかな、と思うところはある。出産という未知数の一大ライフイベントを控え、ナーバスになっているのもある。

この先、私にやりたいことが出来て、それがこの場所では実現できなかったとしたらそれが可能になる場所に行きたいし、それは夫も賛成してくれている。「妻が夫の仕事(やその他)の都合に合わせる」のが当たり前という考えの人でなくてよかったなと思う。どちらの側でもそうだ。お互いの人生を支え合いこそすれ、片方に負担を強いるものではない。今は私が支える番なのだ。(と言い聞かせている)

子どもが産まれたら、家族としての優先事項が(おそらく)変わっていく。それでも、父であり母であると同時に、ひとりの人間として生きるうえで、「どこで、どんなふうに生きていくか」は常にあるテーマであって、場所やそこでの周囲との関係性というのは大きな意味をもってくるなぁと思っている。

つらつらと書いてみたものの、やはりこれに答えはないから、きっとずっと模索しながらすすんでいくんだろう。ちょっと話が飛躍するけど、一拠点に定めない暮らし方もある。どうしようか迷ったタイトルも、なんだか中途半端なものになってしまったけれど、それくらい家族の形はこれからで、まだ何も見えていないということなのかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?