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群馬県大泉町:リトル・ブラジルからインターナショナルタウンへ

気になっていた町にようやく行けた。群馬県大泉町。人口4.2万人の小さな町は在留外国人の割合が2割近く、全国で3番目に多い自治体だ。


東京から東北自動車道を走ること約2時間。大泉町に入ると至るところにポルトガル語の看板があり、異国の地に来た感覚に陥る。

今回はメディアの情報で見えない町の雰囲気を知るために訪れた。

町の詳細や、歴史等については NHK が無料で公開している10分の動画を見ていただくと良いと思う。とてもわかりやすい。

外国人住民が増えたのは、もともと北関東工業地域の製造業の人手不足を補う目的で1980年代後半からブラジルの人材を集め始めたことがきっかけだ。1990年の入管法の改正を経て、多くのブラジル人が大泉町に定住を始めた。現在はブラジル人に限らず、ペルー人、ネパール人、インドネシア人、ベトナム人など、様々な国籍の人々が増えている。

大泉町の昔と今

大泉町のこれまでと現在を少し追ってみる。

数々の課題を乗り越えてきた歴史

大泉町の外国人住民にとって、2008年のリーマン・ショックを起点とした世界経済危機は大きな課題の一つであった。多くの外国人住民が派遣や間接雇用といった不安定な就労形態にあったため、彼らの生活に大きな打撃を与えた。経済危機は全国的に表面化し、政府は「日系人離職者に対する帰国支援事業の実施」などの外国人住民向けサポートを実施したが、再入国に制限がかかることから、賛否両論を呼んだ。

生活面では、日本人住民と外国人住民の間で、日常生活における細かな問題(ゴミ出しや騒音など)が初期の課題だった。行政は解決に向けて情報の多言語化や相互理解を促進する取り組みを急ピッチで進めた。(詳細は後述)

1990年代からの30年間で、大泉町はこれらの課題を乗り越え、多文化共生が進展している。

出稼ぎから、共に生きる仲間へ

今では、大泉町に暮らす外国人は永住者や定住者が大半を占めている。帰国を前提とした出稼ぎ労働者から明らかに変化している。

日本に長く住み続ける外国人が増えることで、新たな課題も出てきた。以下、春日 (2019) の説明がわかりやすかったので引用する。

1989年頃の出稼ぎで日本に外国人が来日していたときと現在外国人の定住化が進んでいる時代を比べ、出稼ぎの時代には、「顔の見えない定住化」(梶田など2005)と言われるように、出稼ぎ外国人が自宅と職場の行き来しかしていなかったときは、日本人住民との接点がほとんどなく、外国人への不満も生じていなかった。しかし、外国人が家族を呼び大泉町に定住すると、日本人住民との接触が増え、外国人への不満や不快感が生まれ始めた。

春日 (2019)

外国人の定住が一般的になると、共に生活する上で様々な課題が浮かび上がってきた。

日本人住民の不満が少しずつ表面化したが、外国人住民との直接的なコミュニケーションが取られることはなく、その結果、状況が複雑化しているように見えた。

一方、外国人住民側は、日本で生活を続けるという強い決意を持っていることが、次に引用される内容からわかる。

(表9-中略)外国人住民の語りの中には、日本人住民との接触を避けたり、日本人住民に対する不満は一つもなかった。外国人住民は、目的をもって日本で生活している。リーマンショックで友人や家族が仕事を失い、身近な人が帰国を余儀なくされたり、東日本大震災後にはでたらめな情報が自国に流れ、帰国を促されたりと、日本での生活が妨げられるようなことも度々あったという。そのような中でも、日本で頑張って生活したいという強い思いから日本に残っている人が多い。

春日 (2019)

両者の思いや意図を汲んで共生を図っていく媒介者が求められた。

日本人住民と外国人住民をつなぐ存在

大泉町では、行政、大泉観光協会、大泉国際交流協会、そして個人(メディエータ)が、地域社会の多文化共生を促進するために連携している(春日 2019)。

行政は、外国人住民に正しい情報を提供する施策として、多言語での行政情報の提供、多言語通訳の配置、多言語広報誌の発行、日本語教室の設置、そして行政職員の国籍条項撤廃を進めている。

大泉町長の村山俊明氏は多文化共生を強く支持している。

大泉観光協会は、大泉町内外から人々を集めるグルメイベント「活きなグルメ横丁」やサンバイベントを主催し、外国人と日本人の交流の場を提供する(詳細は後述)。

大泉国際交流協会は、外国人住民向けの語学講座などを提供するボランティア活動を行っている民間団体だ。

個人(メディエータ)は、日本人住民と外国人住民の間に立ち、各々が課題意識を持って行政や民間団体に影響を与えている。これらの活動は、日本人、外国人を問わず、実体験に基づいて行われていることが多いようだ。

観光でまちおこし

かつて「ブラジリアンプラザ」として知られていた建物の一角には大泉町観光協会がある。平日に訪れたためか、外からは静かで、営業中かどうか判断しにくい印象を受けた。

しかし中に入ると、最近観光局に着任された方がいらっしゃった。矢継ぎ早に投げかけた質問にも丁寧に答えてくださった。

観光協会の部屋には、外国人移住の歴史に関する展示品や資料が豊富にあった。ここを訪れれば大半の情報は手に入るだろう。

以前は「リトル・ブラジル」や「ブラジルタウン」といった名称で知られていた。しかし、現在はこの呼称の使用を控えている。外国人住民のうちブラジル国籍を持つ人が半数以上*を占めるとはいえ、さまざまな国の住民が共存しているからだ。

現在、50を超える国籍の人々が住む「インターナショナルタウン」として、対外的には説明されている。
*Source: 大泉町 外国人人口表(過去データ)

外国人を呼び込むことばかりがニュースになるけれど

昨今の人手不足は海外からの労働力で解決する、という既定路線が出来つつある。商機を見出した民間企業が人材紹介事業を通じて外国人を積極的に呼び込んでいる現状も目の当たりにしている。

大泉町を見ると、外国人が日本に来て働くことは一つの側面に過ぎず、彼らが地域社会とどのように関わり、幸せに生活していくかがさらに重要であることが分かる。

今のところ生活面の支援は一部のリソースがある行政機関や民間ボランティアが担っているが、負担は増している。特に日本語教育の面では大きな負荷がかかっている。

読んだ文献によると、言語を理解し、コミュニケーションが取れるようになることが、外国人住民が地域社会に溶け込むための重要な要素であるとされている。これはまさにその通りだと考える。

出稼ぎから定住へのトレンドが変わる中で、ただ海外人材を呼び込むだけでは全然ダメだ。彼らが持続可能な方法で生活できる環境を整えること (日本人住民との相互理解) にもっと力を入れる必要がある。そしてそこには雇用主である企業が積極的に関与すべきだと私は考える。住宅を借りるときの問題、医療の問題、税金支払の問題など手が回りきっていない課題が多い。

安全で安心な生活環境が整えられれば、それが日本の魅力を高め、より多くの人を惹きつける要因となるはずだ。

今回は半日ほどしか滞在できず、町の全てを知ることは難しかった。時間を見つけてまた訪問したいと思う。美味しいブラジル料理をたっぷり堪能したい。

大泉町を見て、そんなことを考えた。

気になった街並み (一部)


Kiosuke Cibrasil の外観
Kiosuke のカフェテリアで食べられるフェイジョアーダ


大泉町役場に貼ってあった感染症対策の案内


ガラッパ: 大泉町の情報などをポルトガル語と英語で紹介した広報紙
日本語学習や求人案内。ほとんどがポルトガル語


日本語教室の案内資料


観光協会の展示一部 (撮影許可あり)


観光協会でもらった手作りの案内冊子


冊子の中身_1


冊子の中身_2

おすすめ観光スポット

  • 大泉町観光協会 (観光協会の方が町の詳しいことを教えてくれる)

  • Kiosuke Cibrasil (食品、雑貨、レストランも併設されている。外国人住民の方の出入りがかなり多い印象)

  • Casa Blanca Oizimi (海外の品が多い、コストコ的なお店)

  • Supermercado Takara Ota (中々手に入らない食品や雑貨がたくさん)

  • 活きなグルメ横丁 (観光協会の方推奨) *直近は2024/3/24開催


参考文献

Cover Photo Credit: Nao Takabayashi

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