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ヤギとの日々

 もうすぐ、ぼくがゲストハウスを開業してから1年が経過します。ぼくにとってこの1年は、人生で初めて自営業となり、また初めてゲストハウスの運営を行ってみた1年となります。また同時に、NPOとしては通算3軒目、賃貸物件としては2軒目の空き家を整備して、1年間で3回の移住体験ツアーを主催し、そして高井神島で12カ月間、毎月、最低でも1泊は宿泊して、この島の未来を協議し島のための作業を行ってきた1年でもありました。さらに、ヤギを飼い始め、小学生の時にカメを飼って以来となる動物の世話を行ってきた1年でもあったのです。

 そのヤギは7月6日に松山市内、忽那諸島の中島から来ました。その前月、中島で農業を行いながら中島とその周辺の島の空き家バンク運営や移住促進活動を行っているNPO法人農音を勉強させていただくためにお伺いした時、生後3カ月目のシバヤギのメスに出会いました。里子にいただけることが決まり、自宅近くの農地を借りて、柵で区画を囲って受け入れ態勢を整えて、7月6日に、ぼくの住む弓削島にやってきました。名前は、中島から来たということで、「中島さん」としました。愛称「なかちゃん」です。

 中島さんは、こちらにやってきてから4カ月後の11月3日、仔ヤギを出産しました。ぼくは、妊娠にまったく気づいていませんでした。まさに、寝耳に水。大人になってからは、なかなか無い経験です。その日、ヤギに会いに行くと、生まれたばかりの仔ヤギが、小屋にしている自転車駐輪用の小屋を使ったヤギ小屋の中にいました。
 ぼくは中島さんがこちらに来てからすぐに東京への出張があり、その期間、島でヤギを飼っている方に中島さんを預かっていただいたのですが、その際に妊娠したと考えられます。仔ヤギには、生まれた日が「文化の日」だったことにちなんで「文化ちゃん」、愛称「ぶんちゃん」と名づけました。

 中島さん1頭だけだった時には、よく一緒に、普通に歩くと片道15分ほど山道を行くぼくの自宅までの道をお散歩していたのですが、文化ちゃんが来て2頭になると、お散歩はできなくなりました。文化ちゃんは、生まれて3カ月以上が経って2月後半になると、お母さんの中島さんを追い払うようなしぐさをしだすようになり、乳離れも始まったようでした。そこで文化ちゃんは、生まれてから4カ月目となる3月3日に、今治市の玉川でヤギをすでに飼ってらっしゃる方へお譲りすることにしました。そしてその日以降には、中島さんとのお散歩を再開しました。

 ヤギのエサには、お散歩のときに沿道に生えている草や木の葉を食べている以外に、飼っている農地周辺の雑木を与えています。飼っている農地から高地に向かって、広大な耕作放棄地が拡がっており、元農地へと向かう山道がいくつもあります。それらの道は、農地として使われなくなり、草木に埋もれようとしています。道に生えている木を切ってエサとして与え、少しずつですが、道を再び通れるようにしています。道を切り開いていく作業は、とても楽しいです。

 今後、いま中島さんのいる区画の隣の土地を柵で囲み、中島さんをそちらに移し、これまでヤギのいた区画には果樹などを植えていこうと計画しています。また、ゲストハウスの裏山の耕作放棄地も整備して、そちらの草木も中島さんに食べてもらおうと思っています。
 中島さんとの散歩や、彼女へのエサを得るために耕作放棄地への道を切り開いていく作業は、いい運動になります。今日もこれから、中島さんに会いに行ってきます。

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