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はじめました

はじめました

冷やし中華の季節。

夏だと思ったら、だれでも始めていい

冷やし中華はじめました。

先週だったか、学校のスタジオ棟に入った途端

蚊取り線香の匂いが

ふぉわーーーんと身体を覆ったのだった。

毎年、線香の匂いがすると

夏が来たのだな、と感じる。

ある匂いで時間の変化に気づくとき

写真を見返すとき以上に

一瞬で、ある抽象的な記憶に飛ぶような

時間経験が立ち上がる。

立ち上がって、すぐ去る。

海に行った時の写真を見ると、

砂が熱かったな、とか

曇っていて、雨が降ってきたのだったな、とか

海の家で何食べたかな、とか

別々の時間経験を、断片的に追うように

宛ら映画のように思い出す。

匂いはどうだろうか。

線香の匂い 畳 祖父の家 盆 念仏 墓参り 素麺 天麩羅 

映像がぼんやりと流れる、というよりは

具体物の、一瞬のイメージが

ぱぱぱぱっと切り替わる。

夏はとりわけ、時間が止まっているように

感じることの多い季節だ。

夏、そのものが

動かないままに持続している

宛ら写真のように。

今日も伊勢佐木町に行った。

気になっていた喫茶店で、

カレーピラフを食べていたら

すでにいた常連らしき老婦人のとなりに、

友人らしき老紳士が座る。

どうやら定期的に、映画を観る会を

開催しているらしい。

ボヘミアン・ラプソディ、と言った後に

ラプソディ・イン・ブルー、と

言い間違える老紳士、けれど

婦人には伝わっているのだ。

ラプソディといえばイン・ブルー

という記憶の強度は、

ボヘミアンを上回る。

次は万引き家族を観るという。

二人とも、すでに映画館でも観たらしい。

「樹木希林の、あの食べ方ね…」

と婦人が言う。

あの、鍋の食べ方、箸の持ち方、みかんの剥き方食べ方…

日常的な所作や身振りから

別の人間へと変わること。

そこで初めて役柄という人格が

新たにできあがる、という感じがする。

樹木希林の演技には

身体に別の魂が憑る

ということが実際に起こっているように見える。

演ずる、とはPlayすることだ。

「あそびがある」という言い回しを思い出す。

身体の、身振りの余白をうまく使うこと

あそびを遊ぶことが、演じることに繋がる。

樹木希林の最後のショットは

夏の海、波打ち際で戯れる家族を

浜辺で見守るシーンだ。

ありがとう、と声には出さずに口ずさむ

あの姿を映画館で目にしたとき

避けがたく予言的だが、不吉さはなく

ふっと腑に落ちる感覚があったこと

きっと忘れることのない映画経験だろう。

身体の、身振りの形式性、ということについて

いまは考えている。

研究、なかなか進まないと項垂れていたけれど、

案外すすんでいるのかもしれない。

喫茶あづま
045-251-6870
神奈川県横浜市中区長者町6丁目95-101
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140104/14031369/
https://cinema.ne.jp/recommend/manbikikazoku2018060707/






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