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落ち込むのは、前に進むための助走

2023年の1月から3ヶ月間、ライター・コラムニストの佐藤友美(さとゆみ)さんが主宰する「さとゆみビジネスライティングゼミ」に通っていた。毎週土曜日の朝8:30~10:00まで、「書くこと」に関する講義をオンラインで受ける。講義が終わるとほぼ毎回課題が出され、それに四苦八苦しながら取り組む日々。

そもそもゼミに通い始めたのは、自己流でライターをすることに限界を感じたからだった。私は2022年の春からSEOライティングを始め、同じ年の秋からインタビューライティングを始めた。ありがたいことに周りの方々に助けていただきながらなんとかお仕事をしていたけれど、すぐに壁にぶち当たった。

読者メリットってどう考えればいいんだろう。取材相手の話を上手に引き出せない。企画を立てるとは何ぞや……

せっかく憧れていたライターになったのに、仕事をすればするほど自信を失っていく。お仕事をいただいているクライアントへ全然貢献できていないことも歯痒く、この状況をなんとかしたいとゼミに駆け込んだ。


全12回のゼミを終えた今感じるのは、本当に通ってよかったということ。文章の書き方の基礎的なところから、ライターとして生きていくためのマインドまで、たくさんのことを教えていただいた。これからもずっと繋がっていたいと思える同期にも出会えた。

ただ、ゼミを受けている最中は「楽しい」と「しんどい」がジェットコースターのように、高速で駆け巡っていた。「楽しい」のは、毎週の講義を受けているとき。さとゆみさんからプロのライターのあれこれをお聞きできたし、zoomのブレイクアウトルームでは同期と一緒に書くことについて考え、元気をもらった。

「しんどい」のは、講義が終わったあと。出された課題に取り組むうちに、どんどんしんどさが強くなってくる。死にそうになりながら書き上げた課題を提出するころには、しんどさはピークを迎えていた。

その「しんどい」の正体は、書けない自分と向き合わなければならないことだった。単に文章が下手なだけではない。文章を書くには、深い思考や独自の視点が必要だが、私にはそれがなかった。思考の浅さや視点の平凡さを嘆き、そんな自分を直視しなければならない状況が、しんどさを加速させていた。


そのうち「私はライターに向いていないんじゃないか」と思うようになった。まがいなりにもライターとしてお仕事をいただいているのに、こんなに書けないなんて。周りを見ると、同期たちがとっても素敵な文章を書いている。「私なんかがライターをする意味があるのだろうか……」と、どん底に落ちた。

自分が書いた文章がつまらなすぎて、お風呂で一人で泣いた。リビングのソファの上でうつ伏せになりながら「ライター辞めたほうがいいのかな……」とぐずぐず言った。夫に「まぁまぁ」とたしなめられた。なんだよもっと慰めてくれてもいいじゃないか、と心の中で逆恨みした。夫、ごめん。

ここまで書いて、暗すぎて自分でもちょっと引いた。が、この話には続きがある。


不思議なことに、どん底まで落ちるといつの間にか自然と浮上してくるものなのだ。この原理は自分でも解明できていないけれど、私の人生はいつもそうだった。そして、落ち込んでどんどん沈んでいく自分の斜め上には、「あー、沈んでんなぁ」と冷静に眺めているもう一人の自分がいる。

これまで生きてきてわかったのは、こういうときは無理やり前を向こうとしないこと。ポジティブに考えようと、もがけばもがくほど、どんどんネガティブの沼にはまっていく。ただ黙って、じっと沈む。そしたらいつかは一番底にたどりつくから、あとは”浮力”で自然と上がってくるのを待つのだ。

”浮力”は、そのときどきで違う。できないと思っていたことが実はちょっとできるようになっていたり、誰かと話して元気をもらったり。ただのホルモンバランスなこともある。何がきっかけで浮いてくるかは、そのとき次第。

何にせよ、浮力をゲットしたらあとはこっちのもんだ。じっと待っていると、ふわーっと自分が浮いてくるのがわかる。そしてそれをまた斜め上から「あがってきたなー」と眺めるのだ。


今回の浮力が何だったのかははっきり覚えていないけれど、おそらく「どれだけライターに向いていなくても、私は書きたい」と感じたことだったと思う。

ちなみに私はこういう場面でよく「いま死んで後悔しないか?」という質問を自分に投げかける。いますぐ死んでも後悔しないかというのは、いますぐ目の前の何かを手放しても後悔しないか、という意味である。

今回の答えは「いま死んだら後悔する。ここでライターを辞めたら負けだ。まだやりきってない」だった。ライターとして、書き手として、もっともっとできることが増えた先に何が見えるのか。その世界を知りたい。そう思ったら、いつの間にか浮かんでいた。あんなに落ち込んでいたのが嘘のように、晴れ晴れした気持ちだった。


落ち込むことは、私にとって前に進むための助走だ。一番底まで落ちたら、そこから先にはもう落ちない。あとは浮かんでくるだけ。前に進むだけだ。なんなら底をぽーんと足で蹴って、はずみをつけてもいい。底まで落ちるからこそ、蹴って助走がつけられる。

これまでの人生を思い返してみると、何かに真剣に向き合っているときほど落ち込んでいた。どうでもいいことや興味がないことであれば、全然落ち込まない。私を落ち込ませるのは、もっと良くしたい、上手くなりたいという気持ちなのだと思う。

そう考えると、落ち込んでいる自分を「いいぞ、しめしめ」と思える。ずどーんと底まで落ち込んで、浮かんで、前に進むのだ。

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