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36歳、キャリアとライフと妊活と

私は今、36歳。同い年の夫と、保育園年中さんの息子の3人暮らし。今年の夏から2人目の不妊治療をはじめた。

今回は、私が2人目妊活に至った経緯や、今思うことを素直に書いてみようと思う。

このnoteでは不妊治療について専門的な情報や知見は書いておりません。あくまで私が経験したこと、私が感じたことを書いているため、気分を害される方がいたら申し訳ございません。「こんな人もいるんだな」くらいの感覚で読んでいただけると嬉しいです。

なかなか決心できなかった2人目妊活

息子を産んだとき、主治医の先生には「2人目を産むなら5年以内にしなさいね」と言われていた。理由はたしか、5年を過ぎると初産婦と同じ状態になってしまうから、だった気がするがあまり定かではない。

そのときは「はい、わかりました」と言ったものの、なんだかんだ色々あって2人目への踏ん切りがつかず。気づけば息子がもうすぐ5歳になろうとしている。お医者さんに言われたこと、守れなくてすみません。

私の年齢のこともあるし、本当はもっと早く2人目を考えるべきだったのは重々わかっている。でも、どうしても今になってしまった。

理由はいくつかある。

トラウマになった妊娠生活

まず、息子を妊娠したときの経験がトラウマだった。つわりが重く、体を起こしておくのすら辛い毎日。それでも会社に行って、気持ち悪さを抑えるためにCCレモンをがぶ飲みしながら仕事をこなす。「もう無理…!」となったらトイレに駆け込み、ちょっと休憩したらまた仕事に戻る。通勤途中に貧血を起こし、駅の医務室に運ばれたこともあった。

つわりが収まってきたと思ったら、妊娠7か月目で切迫早産の診断。即、2か月の入院生活がはじまった。

憧れていたマタニティライフとは程遠い、生きているのがやっとの生活。それがトラウマになり、あんな経験はもう二度としたくないと思っていた。2人目は欲しいが、妊娠はしたくない。人間も卵で産めたらいいのに、と何度思ったことかわからない。

やっと見えてきた自分のキャリア

2つ目の理由は、自分のキャリアがまた途切れるのが怖かったこと。私は産後7か月と比較的早くに復職したのだが、それでも妊娠・出産のために休むことで職場における自分の居場所がなくなるんじゃないかと非常に恐怖を感じていた。

それに、育休中に自分のキャリアと向き合った甲斐があってか、復職後に昇進したり部門内の重要なプロジェクトにアサインしてもらったりと、やっと自分が希望していたキャリアに近づける気がしていた。

せっかく軌道に乗り始めたキャリアが再び妊娠・出産によって途切れてしまうのが怖くて、2人目のことは一旦考えないようにしていた。

引っ越し、そして退職

そうこうしているうちに息子も3歳になり、さすがにそろそろ2人目か…と思い始めたとき、今度は家を引っ越すことが決まった。決まったというか、私が言い出したんだけれど。

以前の家は急な坂道の途中に建っていて、駅からは徒歩25分。バスは通ってないので、駅まで行くには徒歩か自転車しかない。妊婦にはハードモードすぎる環境。

車で移動すればいいのだが、1台しかない車は夫が出勤に使っていたし、なにより私は車の運転が嫌いだ。息子を妊娠中は仕方なく車通勤をしていたが、下手すぎて2~3回車をこすり、これまたトラウマになっていた。

なので、もしまた妊婦生活を送るのであれば、こんな坂の上の家ではなくもっと駅から近い平地に引っ越したいと、強く夫に訴えた。こうして我が家の引っ越しプロジェクトが始動したのである。

それと同時に、私のキャリアチェンジ計画も動きはじめていた。

会社でのキャリアを諦められずに2人目を先延ばしにしてきていたくせに、そろそろ会社員生活も飽きたかな…ということでフリーランスになる決心をしたのだ。

このへんのキャリアの話は以前のnoteでも書いたので、ご興味ある方はこちらを…↓

そんなわけで、引っ越しもするしキャリアチェンジもするし、今妊娠したらてんやわんやすぎるよねということで、2人目は私が退職してから考えようということになったのである。2021年はじめのことだった。

自分が思っていた以上に時間は過ぎていた

2022年に入り晴れてフリーランスになった私は、ついに重たい腰をあげて2人目を真剣に考え始めた。しかしそこで待っていたのは、自分自身が妊娠しにくい体になっていたという現実だった。

もともと生理不順で、順調なときでも生理周期は35日ほどと平均より長め。調子が悪ければ1回スキップなんてこともあったから、昨年の後半からいつもより生理周期が長くなっていることに気づいていなかった。

やっと異変に気付いたのは5月ごろ。待てどくらせど生理がこない。予定日を20日過ぎてもやってこないので、さすがに心配になってくる。念のため妊娠検査薬を使ってみたが、陰性。それでも生理は来ず。

おかしいと思って産婦人科に行ったのだが、そこで言われたのは「もうすぐ生理が来ると思いますよ」「2人目を考えているんだったらまずは基礎体温を3か月つけて、それ持ってまた来てね」だった。

たしかに病院にいった数日後に生理はきた。が、私ももう36歳だし、呑気に基礎体温を測っているだけではまずいのはなんとなくわかった。

そこで別の病院に行き状況を伝えたところ、まず検査しましょうということになった。検査の結果、私のホルモンの数値は基準より低く、うまく排卵を促せていないことがわかったのである。

お医者さんから言われたのは、2人目を望むのであれば年齢的にもすぐに治療をはじめたほうがいいということ。

そこではじめて私は、「あぁ、決めるのが遅かったんだな」と気づいたのだった。


実は息子を妊娠したとき、子どもが欲しいと思ってからすぐに妊娠できたという経験があった。それゆえ妊活をはじめたらすぐに妊娠してしまうのでは…?と思ってしまい、ライフイベントを避け、いつ妊娠しても問題ない時期まで待とうとしてしまったのである。(仕事もあるし、いつでも妊娠していい時期なんて本当はないんだけれど…比較的影響が少ない、コントロールがきく、という意味で)

でも冷静に考えると、そんなすぐ妊娠できるわけなんてないのに。前回がたまたまだっただけ。

本当はもっと早く、検査だけでも受けておくべきだったのかもしれない。年齢は待ってくれないのだ。

自分事として考えていなかった

私の周りにも不妊治療をしている人は増えているし、世の中でも治療をしていることをオープンにする人が増えたと思う。

そんな話を聞いて、私も自分の年齢のことは気になりつつも、どこかで自分事ではないと思っていた。何事もそうだけど、自分の身に降りかからないといまいちピンとこないのだ。でも、それじゃあ遅いんだよね。

一方で、じゃあ2~3年早く2人目を産めていたらどうなっていたかと考えると、それはそれで何かしらの後悔が残っていたかもしれないとも思う。

難しい…と言ってしまったら身も蓋もないんだけれど、こればっかりは本当に難しい。うん、難しい。

これからのこと

今回、不妊治療に至るまでのあれこれを書いてみたけれど、今はそこまで悲観的ではない。

焦っても仕方ないというのもあるが、どれくらい真剣に2人目が欲しいのか、実は自分自身でもまだわかっていないのが正直なところだったりする。

息子がお兄ちゃんになるところは見てみたいし、兄弟はいたほうがいいだろうなと思う。でも息子が可愛すぎて1人でも十分だし、今からまた赤子を育てるのは大変だろうな…とも思ったりして、毎日気持ちがグラグラしている。自分でも笑えるくらいにグラグラだ。

このへんの「本当に2人目ほしいのか問題」については色々考えるところがあるので、機会があれば書けたらいいなと思う。


最後に、なんでいきなりこんな話を書いたのか。

不妊治療をしていることを隠す必要はないと思っていたけれど、だからといってわざわざ言うことでもないとも思っていた。

不妊治療に限らずだが、現在進行形で取り組んでいることを発信するのは多少なりともリスクが伴うし、感情が乗りすぎて言いたいことがきちんと伝えられないかもしれない。

それに、こんな話を聞きたい人っている?というのも大きかった。不妊治療がうまくいった話を聞きたい人はたくさんいるだろうが、こんな先行き不透明な話にニーズなんてあるのか?と。

いろいろ思うところはあったんだけれど、すべて終わってから書こうと思っているとたぶん忘れるし書かないだろうなと思った。そもそも「終わり」の定義も難しい話だし。

だから、とりあえず「書こうかな」と思った自分の気持ちを大切に、今の私が感じていることの記録として書いてみることにした。

続きはあるかもしれないし、ないかもしれないですが。それもまたそのときの気持ちに従っていければいいかな~なんて思ったりしています。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

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