ビザンツ帝国史(前史)3

デロス同盟

・デロス同盟の結成
ギリシア連合軍がペルシア軍に勝つが、ペルシアは依然として脅威だった。
→前477年頃、アテナイの提唱によってエーゲ海の沿岸及び島々のポリスはデロス同盟を結成した。
→ギリシア世界はデロス同盟(海のアテナイ)とペロポネソス同盟(スパルタ)に二分される。
・デロス同盟の変質
デロス同盟軍によりギリシア諸ポリスはペルシアから解放されていった。
→ペルシアの脅威が薄れたため同盟の存在意義が疑われる。
 →同盟の一部が脱退しようとする。(徴収が苦のため)
 →アテナイはそれを反乱とみなし鎮圧する。
 →アテナイが次第にデロス同盟を専有するようになる。
・テミストクレス
ペルシア戦争の英雄テミストクレスは戦後もアテナイの軍事力を強化。(デロス同盟の結成にも関わったとされる。)
→彼の活躍は民主政の脅威と考えられて陶片追放にあう。
→ギリシアでの居場所を失いペルシアに逃れた。
→彼はクセルクセス1世の子アルタクセルクセス1世から能力を買われて、ペルシア軍の指揮を依頼される。
→同胞への裏切りを是(ぜ)としないテミストクレスはその後服毒自殺したとされる。

ペリクレスの時代

・キモン(親スパルタ派)
→「貴族の中の貴族」(ノブレス・オブリージュ)で、テミストクレスの弾圧で活躍。民衆から人気。
→保守的な貴族を代表するキモンは民主政(反スパルタ派)を排して、かつての貴族寡頭制を復興させようとする。
・キモン弾劾裁判
民主派はキモンを収賄の容疑で裁判にかける(マケドニアを侵略しないのはアレクサンドロス1世から賄賂をもらっていると主張)
→無罪。貴族派の優位は揺るがなかった。
・スパルタ大地震
紀元前464年、ペロポネソス半島南部で大地震が発生し、スパルタ派大損害を被る。キモンはスパルタに応援に行くがスパルタに断られる。
→民主派はこの間にアレオパゴス(古代アテナイの政治機構)を制圧しその権力を500人評議会や民会に移譲させる。
→キモンは民主派によって陶片追放にあう。
→民主派の指導者は暗殺され、民主派も貴族派も指導者を失う。
→暗殺された指導者の右腕であったペリクレスが民主派を率いていく。

酷い

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