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結局恋はわからないままだけど

 平日の夕方のショッピングモール、手を繋いだ高校生二人をのせたエスカレーターが二階から三階へ上っていく。付き合っているんだろうな。彼らの後ろ、ひとりエスカレーターに運ばれながらそんなことを考える。楽しいのかな。幸せなのかな。ずっと一緒にいたいとか思うのかな。色々と考えてみたけれど何もわからない。正直に言えば他人のことになんて興味もない。恋愛感情ってどんなものだっただろうか。僅かだけど自分にもあると思っていた種類の感情がどう頑張っても思い出せない。

 恋愛って、なんだ?

 エスカレーターを降りた三階の雑貨屋前のベンチで、別の高校生カップルがバチバチにキスしていた。あー公共の場でやってるなー、見てしまったなーと思って長めのまばたきを一度、次の瞬間に忘れたことにする。自分にはそんな文化がなかったからうわあと思ってしまう。仮に自分が彼らと同じ年齢の学生だったとしても、ショッピングモールのベンチでキスされたら氷点下まで冷めてしまうと思う。私は私自身をずっと外側から光のない目で見ている。

 恋なんてずっとわからない。

 恋愛感情ってなんて暴力的なんだと思う。人の感情なんて一番思い通りにいかないものなのに、相手に期待をしてしまう。「あなたのことが好き」が、「あなたも私を好きになってほしい」という呪いに変わるのは一瞬だ。

 もっと知りたかった。でも自分をさらけ出すのは怖いと思った。冷静に、人と付き合うということに向いていない。怖い。距離が近づくのがこわい。相手に期待をしてしまうのが怖い。自分の空っぽ具合が露呈するのが怖い。人の気持ちは移りゆくものだと知っているから怖い。たとえ気持ちが移りゆくものだとしても、それでも一緒にいたいという覚悟もない。人と暮らすのはうるさくて、人と暮らすのは面倒だ。長い時間をかけて築いても、壊れるのは一瞬だし。一度人を好きになると、まともじゃなくなってしまう。別れた後に、いるはずのないその人の影を何度みたことか。

 恋愛がなくても楽しいことが多過ぎる。それを言い訳にして、人と向き合うことから逃げてきた結果、元々の臆病を更に加速させてしまった。本音は飲み込むものという英才教育を自分自身に施してきた。来週も会えるのにさよならが寂しくてこっそり泣いてしまったり、「お疲れ様」というそれだけのラインにスキップしたりしたことが過去のどこかにはきっとあるはずなのに、そういう部分を相手に見せたことはない。ひとつもない。好きと言ってくれた人と気軽に付き合ってみようという試みもしたけれど向いていなかった。恋愛はギブアンドテイク。テイクだけの関係は寂しかった。束縛されるの嫌だし、たまには一人にしてほしいし、核心をつかれるの怖いし、弱いところは見せたくないし、セックス嫌いだし、面倒くさがりだし、やっぱり根本的に異性があまり得意ではない。みんな、大恋愛ってしたことある?どんなに他の人の経験を聞いたとしても、私がそれに倣ってまったく同じ一例をなぞることはできない。人には人の、大恋愛。なんだそれ。


 忘れちゃったことさえ忘れちゃったよ。ねえ、恋ってなんだった?
 もう良い大人なんだからってプライドばかりが高くなって、サイレントに失恋するような日々を繰り返していたら本当にわからなくなってしまった。もはやもうわからなくても良いかなとも思う。もう、人に狂うなんてまっぴらだ。振りまわされず振りまわさず、楽して生きたい。一人は自由で、それなりに楽しい。だけどたまに、ほんのたまに、日々の生活で誰かに必要とされてみたいよって弱気になってしまう夜がある。





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四年前はこう思ってた。


ゆっくりしていってね