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正欲

多様性というワードが、この世の中に溢れている。
そして、私たちは、自分を基準とし、自分の価値観が一般的であると信じて疑わない。

クリスマスは恋人と過ごすこと。
男は女に性的興奮をすること。
みんなと一緒であることが、正しいと思うこと。

しかし、本作品に登場する人物は、自分はマイノリティだと思い込んでいる。
欲望に正解がないにしても、マイノリティというだけで、肩身が狭くなる。つまり、『生きにくい』。

(ここからネタバレ含みます)

過去のトラウマのせいで、男性への苦手意識が強い女子大生・八重子もまた、『生きにくさ』を痛感しており、私は、彼女に共感できる。

今でこそ、異性と話をすることに慣れてきたが、思春期はなかなか上手くコミュニケーションがとれず、もどかしい思いをした。
修学旅行や、給食当番でさえも、異性との関わりは欠かせないのだが、女の子相手のように、スラスラ言葉が出てこない。
しかし、クラスの女の子は、平然と男の子の肩を叩いたり、一緒に下校したりしている。
そこまで、異性と親しくしていない女の子でも、いざ男の子と話すときは、至って通常運転である。
ここまで意識しているのは、自分だけなのではないか、とまさに『生きにくさ』を感じていた。
思春期の女の子なんてそんなもんだよ、と悩みにもならないようなもやもやを吹き飛ばす人がいれば、少しは楽に生きられたかもしれない。
しかし、私が辛かったのは、【男の子と話せない自分】より、【みんなは男の子と平気で話せるのに、1人だけうまく話せない自分】にフォーカスを当てていたからである。

マイノリティな性癖を隠す会社員・夏月は、異性に性的興奮を一切しない。
それどころか、世間に、冷めた目で見ている。
恋人と過ごすクリスマスや、家族で団欒する年末年始、長期休みの海外旅行など、世間が楽しむものに、心から楽しめない。
以下は、そのことに関して、生きにくさを抱えている彼女の心情である。

そこ(海外に行ったことがない)に当てはまっていても居心地が悪くないのは、この世界にあまりにもありふれた人間の形をしていれば、の話だ。
夏月

みんなと同じであれば怖くないのだ。
みんなと同じでないから、怖いのだ。

別の登場人物の
【ただ自分がマジョリティであるということが、
唯一のアイデンティティとなる】
という台詞も突き刺さる。

普通であることは傷付かずに済むが、その代償として『生きにくさ』を感じてしまう。


多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだ。
夏月

夏月の性癖とは、水飛沫である。
噴水や水鉄砲などに、興奮を覚えるのである。
この、特殊な性癖は、世間が言うマイノリティにすら当てはまらない。


ショックを覚えた。
多様性、と普段、気軽に使用しているワードが、誰かを苦しめていたなんて。

多様性と、一括りにできない事柄でありふれた世の中で、思いやりを持って、相手を傷つけず、接していくことができるだろうか。

不安になった。
自分が無意識に感じている価値観が、誰かの凶器になり得る。
反対に、自分の価値観を、相手の悪気のない一言で否定され、傷付くこともあるのかもしれない。

みんな違ってみんないい、と義務教育で叩き込まれても、結局はみんな同じであることへ安心を覚え、マイノリティな人間を敵にする。

本作品の感想文を書こうとしていたら、衝撃的なニュースが流れてきた。
とある有名人夫婦の離婚である。(あえて名前は書かない)
2人の世界観が好きだっただけ、寂しさを感じるが、離婚の原因が【性】であることも驚きを隠せない。
ここでこの夫婦の離婚を非難すると、マジョリティ側の人間がマイノリティ側の人間へ攻撃するように捉えられるが、ここで私が率直に思うことは、

『なんて言えばいいのかわからない』

それだけである。

多様性と表現しても、自らの価値観を押し付けても、マイノリティ側に寄り添ってみても、自分の意見に自信がなくなる。
そもそも、マイノリティ側に寄り添うなんて、随分も偉そうである。自分が、マジョリティ側であることを前提としているし、そもそも、マジョリティ側が偉いことなんて1ミクロンもないし、、、考えれば考えるほど、頭が痛くなる。

ただ、ひとつだけ言えることは、
相手を思いやることは、決して忘れてはいけないのだ。


どうせこの世界で生きていくしかないんだから、少しでも生きやすくなるように、同じ状況の人ともっと繋がってみたくなったんです

とある人物の台詞である。
彼もまた、他人に理解できない性癖に悩まされていた。

繋がりを大切にしようとか、死ぬほど聞かされてきたスローガンは、なぜ永遠に叫ばれ続けるかというと、実にシンプルで、永遠に唱えなければいけないからである。
多様性が謳われる世の中で、多様性にも当てはまらないカテゴリーに属する人もいる。
いろんな人がいる。
理解はできなくても、思いやることはできるだろう。

正欲。
自分が正しいと思う欲望。
正しくない欲などない。

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