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あなたはあなた、私は私。〜読書感想文〜

これは読んでよかったなあと大変実感しています。


今回も読書感想文です。読んだ本は、『嫌われる勇気(著:岸見 一郎、古賀 史健)』です。

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今更?という方もいらっしゃるのではないでしょうか。実際に、私の周りでもすでに読んでいる方がたくさんいて、「青年はちょっと鬱陶しいよね。」だったり、「それでも自分の好きなように生きる。」だったり、たくさんの意見を聞きました。

帯のコピーにも、「読んで変わった人が続出!」というような煽り文句も書かれてあって、私は「そんなばかな〜」と思いながら、読み進めました。今回はこの、『嫌われる勇気』の感想を書いていきます。



読もうと思ったきっかけ

読もうと思ったのは、そうですね、自分のことを好きになりたくて読みました。特別嫌なことがあったわけでもなく、誰かに攻撃された、ということでもなく、なんとなく、自分の現状が息苦しいなと思ったのです。

仕事がうまくいかないし、周りにはイライラさせる人が多い。それに悪意がないからこそ、心苦しい。将来のために何か実践しているわけではなく、なんとなく止まった日々を過ごしてしまっている。そんな、もやもやした重い気持ちをどうにかしたくて、手に取ってみました。



自分次第で、今すぐ幸せになれる。

本書は一人の自己肯定感の低い青年と、哲学者との対話形式で記されています。主題は「人生の捉え方」「幸せとは」というようなもので、ちょっと宗教じみているな、と感じる節々はあったのですが、読んでみると、大変筋の通ったものでした。

まず前提として、哲学者はこう言います。

「人生は、世界は複雑ではなく、いたってシンプルである。人生を複雑にしているのは自分自身であり、今すぐにでも人生をシンプルにすることができ、そして幸せになることができる。」

ちょっと意訳しています。が、そんなことを言っていました。著書の中で、青年はこの一言に大変な勢いで反抗します。私も、青年ほどではありませんが、全てを鵜呑みにするには疑念がぬぐえませんでした。

哲学者は、終始、アドラー心理学を用いて自身のあり方を説いています。

アドラー心理学とは
アドラー心理学、個人心理学とは、アルフレッド・アドラーが創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。個人心理学が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない。
(引用:Wikipedia

アドラー心理学は個人心理学とも言います。アドラー心理学では、人の全ての悩みは対人関係にあるというのです。

人間は社会的な生き物で、どんな形であれ、誰かと関わっていきなければなりません。その中で、どのように人と関わりを持つのか、自分の考え方を形成するのか、ということを説いています。

中でも私の中に刺さったことをいくつか共有します。



馬を水辺に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない。

本書の中でのたとえ話です。そのままの意味ではあるのですが、誰かを変えようと行動することはできるが、変えることはできない、という意味です。


私は私で、あなたはあなた。親子であれ、私たちはあくまで個人であり、別の生き物であり、互いに適度な距離感を保たなくてはならないのです。

これを「課題の分離」と言います。人と人の間で起きている問題は誰の問題なのか、ということをしっかり認識することです。


本書の中でのたとえ話には親子が登場しました。

自分の子供が勉強をしない。親としては勉強をさせたい。しかし、「勉強をする」のは子供であり、「勉強をしない」のも子供の問題であり、親が子供に勉強をさせようと助言をしたり叱ったりすることは子供への「介入」だというのです。

子供という、自分とは別の個体を変化させようとする行為は必要以上の介入であり、その介入をすることで、対人関係にヒビが入ったり、イライラを感じたりするのである、と。

自分に不利益を被らない、相手に不利益を与えないためには、この課題の分離が必要なのです。


しかし、課題の分離はともすると他人への無関心にもつながりかねません。他人と変わらずに生きることは不可能です。

だから、この「他人を変えることはできない」という、一見すると諦めにも近い考えを持つことが大切なのです。

これはあの人の課題だ、ということと、変えることはできない、という意識を持ってその人にアプローチをすることで、変えられなかったことへの心的負担が減るのです。

他人を変えよう、と思うことは傲慢であり、また対人関係に不利益を与えかねません。



自己肯定ではなく、自己受容をせよ。

自己肯定、という言葉がありますが、これを自己受容という言葉に置き換えること。結構、この言葉も私には刺さりました。

自己肯定と自己受容はどう違うのか。

自己肯定は、自分は本当はできる人間で、すごい人間なんだ、と思うこと。対して、自己受容は、できない自分を受け入れて、そこからどうすればできるようになるのか、という考え方です。

人間は前進すること、成長することに生きがいを感じる生き物だそうです。できない自分を受け入れること、できないということを受け入れた上で、そこからどうすのか考える。実際の身の丈にあった尺度で自分のことを捉えることが大切なのです。



他者貢献こそ人間の幸せであり、存在自体に感謝せよ。

人間はどういうときに幸せを感じるのか。それは、他人に貢献しているときである、と哲学者は言います。


承認欲求というものを、誰しも持っていると思います。上司に褒められたい。憧れの人に認められたい。SNSでたくさんいいねが欲しい。noteのフォロワー数増えないかな…。笑。など。

誰か自分以外の人に認められたい、というのはいわば当たり前のことだと思います。しかし、この承認を軸に生きてしまうと、自分の人生を生きられないのです。

承認してもらいたい、ということが誰かの役に立ちたい、誰かに認めてもらいたい、という欲求です。この欲求を満たすためには、誰かの要求を満たすこと、誰かのwantを叶え続けることに直結しており、つまりは自分のやりたいこと、実現したいことではなく、誰かのやりたい、実現したいのために生きてしまうことになるのです。他人の人生を歩むことになる、ということです。

また、承認とは縦の繋がりから生まれるものです。上の立場の者から下の立場の者へ下される評価のこと。この繋がりかたは健全ではありません。人は、横のつながりを持ち、互いに平等であることが健全なのです。


最初に他人への貢献が人の幸せである、と述べましたが、これは、他人との横のつながりの中で築かれるコミュニティの中に属している、という所属感が幸福である、ということです。

人は孤独では生きられません。どんな形であれ、誰かと繋がって生きています。その社会やコミュニティの中に属していること、そのコミュニティに貢献できていると感じることが幸福につながります。

ここで大切なのは、行動ではなく、存在のレベルで考えることです。何か行動をすることで貢献をしようと考えると、先ほど述べた承認のつながりに帰属してしまいます。また、最初は承認されていた行動でも、そのうち承認されなくなってしまうと、行動する動機や指針を失ってしまいます。

極論を言えば、実際に行動という形で貢献をしようとしなくてもいいのです。自分という存在が、何かしらの形で誰かに貢献できているのだ、と思うことが重要なのです。



まとめ〜自分の軸を持て、自分の形を守れ〜

この『嫌われる勇気』は、読む人によって解釈や刺さる部分が違ってくるな、と感じています。改めて文章として内容を整理してみましたが、「そういうこといてるんじゃないんじゃない?」「全然わかってないじゃん。」と思う人もいると思います。

しかし、読んだ人ならわかると思います。

「自分次第で人生が変わる。」ということ。この本から私が学んだことは、「自分と世界の境界線をしっかり理解し守ること」です。そして、「自分の形をしっかり持つこと」です。

自分の形とは、信念であったり、やりたい!というwantの気持ちであったり、価値観だったりのことを指します。なんと言われようと、何をされようと、人は人、自分は自分、という認識を持ち続け、忘れないことだと、私自身は感じました。皆さんは、どうでしょうか。ぜひ、感想をいただけると幸いです。



筆者紹介

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関西圏内でデザイナー/カメラマンとして週末フリーランスをする23歳、女。スターバックスのコーヒーを飲みながらスターバックスで仕事をするのが好き。

「青年はちょっと鬱陶しいよね。」と言ったのは私の姉です。



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