見出し画像

ああ、いい人生。

「手広く色々経験してて、(私)はいい人生だよなぁ」

2024年もちょうど1ヶ月が過ぎた頃、
いわば春雷と言うべきか、私はその言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。

(そんな風に、私の人生は見えているのか…。)

なぜ衝撃を受けているかと言うと、私は今までまじまじと自分の人生を評価するようなことはしてこなかったから。
自分の人生に不幸だの、幸せだのと名前をつけるという考えも無ければ、
ただがむしゃらに、そのときやりたいと思ったことの中から、
偶々出来たことを綱渡りでやっている感覚で生きていたので、
自分の生き方に「人生」なんて映画タイトル的なものをつける気すらなかった。

(生きてると稀に、人から私の人生のレビューを受け取る機会があるのか…。
そしてそれに考えさせられるときがくるのか…。)

新鮮な感覚だった。



そう言ってくれたのは中学生の頃からの長い付き合いの同級生だ。

私に対してこの友人が言うものは、
それ相応の時間の信用性があるので
当然言葉のテクスチャが違うである。

重みではない、あくまでテクスチャ。

よって今回は決して、女同士のドロドロエッセイ漫画とかにありがちな嫌味的な受け取り方の展開などではない。そうだったら記事にしてない。
友人とはあくまで彼自身の仕事のことなどもテーマにして、今後やりたいことなどの話題を絡めていたので、当然そのような意図は彼にもないだろう。
…おい、そうだよな?ドロドロエッセイにしたかったわけじゃないよな?信じてるぞ。

私がこの記事でフォーカスしたいのは、人生でやりたいことだとかいう行動論的なことではなく、
受け取った評価によって私自身の内々に生まれたもの。

「(私)はいい人生だよなぁ」

───そう見られていたというのは、私にとって「良いこと」なのだろうか。
───仮に「良いこと」だとして、
この言葉を受けて、ネガティブにではなく、あくまで建設的に、どういったところが自分にとって良いと思える人生なのか、ポイントを探れば何に当たるのか。
───「良いこと」とは誰目線の良いことなのだろうか。
───いい人生とは、この場合どういうことを指すのか。

挙げ出すときりがない。

こういったポジティブ寄りの思考が出てくる一方で、
嫌味的なものはないとわかりつつ、どうしてもあとちょっとで消滅しそうでしてない暗黒期の自分が毒づきたくて顔を出してこう言ってくる。

「散々苦しんでその私の人生という映画制作をしてきたのに、
『よかったです。』みたいな★3レビュー、気軽につけんじゃねぇ!!」

一瞬よぎった。ほんの一瞬。
再度言うが、友人には全く悪気はないのは、自我のほうの私もわかっているし、私も責めているわけではない。
もしこれを読んで罪悪感とか駆られてたら友人すまん。むしろ言ってくれてこうした振り返りができているので、感謝してる。


しかし、そんな天使と悪魔がささやく混沌とした胸の内を
私はすべて優しく抱きかかえようと試みた。

そういう余裕が出てきた、この歳の今の自分、
我ながらほんと偉いなと思う。昔じゃ心に悪魔100体いて天使の声すら聞こえなかったよな。

抱え込んでみた結果、思いの外スラスラと浮かんできた言葉。

そもそも俯瞰してみてみれば、今こうやって人の言葉を素直に聞いて
自分の人生をどう思うかという興味を湧かせることができて
自分について深く思考する自分が、今ここにいる。
そんな自分が好きと思える苦楽の過程の先に、今立っている。
じゃあ、現時点で考えれば私の人生は、常にいい人生だな。


そんな鶴ならぬ天の一声(?)で
うるさかった胸の内戦争は静寂を取り戻した。
結局これだけが心のなかにひとつ残ったのである。

未来のことなんてわからない。不安もある。
過去のことは忘れてない。なかなか拭えない傷もある。
ただ、その延長線上にある「今」だけを単体で考えたら、そう思える。

そう考えたら、スッと心に晴れ模様が差す。

私の人生を私のために評することは、至ってシンプルなことだったのだ。
誰にとっても、自分のつくった人生なのだから、好きに評価して良い。


『 私の人生 』MIDZUKIの感想・評価
★★★★★ 5.0 ”ああ、いい人生。”
いつどこで思い返したって、私の人生は良いものである。
どんなに困難や不安が待ち受けようとも、
苦楽をともにして生きた人生は、展開があって面白い。
大長編・大傑作ですね。よくここまで制作したと思います。
続編、待ってます。


いやぁ、人生って本当にいいもんですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?