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短編小説「バレンタインデー」後編

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5「大学祭前」

夏合宿が終わり、そのまま軽音楽部は大学後期が始まるまで、開店休業となった。

大学の後期が始まるのは10月だが、その前の9月を目一杯使っての、前期期末試験が行われるので、この時期だけは勉強に専念せねばならない。
更に伊藤は試験後、アパートに引っ越さねばならないのもあって、落ち着かない日々を過ごしていた。

最も野球等のスポーツ推薦で特待生扱いの極一部の学生は、試験は免除されているので、それだけは伊藤は悔しかった。

軽音楽部の活動も一時休止となり、サックスが吹けないのもストレスだったが、何時の間にか伊藤の中に、石橋咲江という女の子が入り込み、しばらく咲江に会えないのもストレスなんだ…と気が付いた。

ユネッサンで見た、天真爛漫な咲江の弾けるような笑顔と、中高時代スポーツに打ち込んで引き締まった体に似合う、白地にブルーストライプのビキニ姿は、伊藤の試験勉強を大いに邪魔する思い出になった。

(俺、完全にサキちゃんのこと、好きになってる…)

ユネッサンで偶然手が胸やお尻に当たった時も、狙って触ったんじゃないからいいですよ!と明るく返してくれた。

どちらかと言うとマイナスな状態から始まった、伊藤の高校2年の時の、バレー部の先輩との付き合いは、付き合っていても先輩が大学受験を控えていたため、あまり心から楽しいという時は少なかった。

翻って今の石橋咲江は、全力でサックスに立ち向かい、初の本番でミスこそしたものの、根は前向きで明るく、むしろ伊藤が引っ張られる場面も生まれつつあるくらいの女の子だ。
伊藤は咲江のことを思い、試験勉強が滞ることが多々あり、早く試験が終わって後期が始まらないかと悶々としていた。

一方で石橋咲江も、ユネッサンで過ごした伊藤との時間が忘れられずにいた。
偶然だったが、伊藤の手がビキニ越しに胸やお尻に触れた時には、全身に電気が走った。

(先輩…伊藤先輩…。アタシ、本気で先輩のこと、好きになりました。アタシが告白に踏み切る時、断らないで下さいね…)

お互いに両思いになったのだが、ここからなかなか進まないのが、2人の特徴でもあった。


その内前期期末試験も終わり、10月に入って後期が始まった。

伊藤のアパート生活も始まり、親元を離れて大学に通うのは、慣れるまで大変だな…と実感していた。

サークル活動も全面再開で、11月3日~5日に行われる大学祭に向け、各サークルは模擬店の準備を始め、音楽系サークルは大学祭の中の1日が音楽の日と決められているので、その日に向けて練習に励むことになる。

伊藤は軽音楽の活動と言うよりは、咲江に早く会いたい一心で、4限の講義後、サークル室へ直行した。
まだ後期再開直後とあってか、サークル室に来ている部員は少なかったが、既に聴いたことのあるサックスの音色が伊藤の耳に聞こえてきた。

「サキちゃん!早いね~、先越されたよ」

「エヘヘ、今日はアタシ、3限までだったんです。だから、伊藤先輩より早く来ちゃいました。先輩、ユネッサン以来ですね!アタシのこと、忘れてませんか?」

咲江は変わらぬ明るさで、伊藤を出迎えてくれた。

「サキちゃん、正式にはユネッサンの後、小田急で帰ってきて、駅で解散して以来だよ」

「んもー、伊藤先輩の意地悪!せっかくムード作ってみたのに!」

「アハハッ、ごめんね。でも前期の試験、初めてだったでしょ?上手く出来た?」

「あ、そこは学部も一緒のチエちゃんに助けてもらってなんとか…」

「なら良かったね。他に何かしてた?」

「あっ、ユネッサンで先輩に太ももの日焼け跡を指摘されたから、合宿後は毎日日焼けしてました」

「日焼け?どうして?」

「だって、ビキニのパンツを穿いてるのに、その下に白い部分と黒い部分があるのは変じゃないですか!だから毎日、高校時代のブルマーを穿いて、ベランダで太股を日焼けさせてたんです。そしたら、なんとか太股一直線の日焼け跡じゃなくなりましたよ!」

「えっ、ええっ?」

伊藤は突飛も無い咲江の行動に驚いていた。逆に、軽い気持ちで日焼け跡のことを指摘しただけで、こんなに咲江が一生懸命にそのギャップを埋めようとしたことにも驚いていた。

「だから次に先輩とプールとかに行っても、綺麗な日焼け跡をお見せできますよ!」

咲江は自信満々に、スカートをまくって日焼けの成果を見せようとしたので、いやいやそこまでは…と、伊藤が止めた。

「大丈夫ですよ、先輩。今日アタシ、高校時代のブルマー穿いてきてますから」

「いやっ、そのっ、そう言う意味じゃなくって、あのさっ、俺が恥ずかしいんだよね」

「そうですか?せっかくビキニ着ても大丈夫になった日焼け跡、先輩に見てもらおうと思ったのにな」

咲江の天然な行動に、伊藤は心拍数が上がるのを抑えられなかった。

「と、とりあえず俺も楽器出してくるから。サキちゃん、音出ししてて」

「はーい!」

伊藤はとりあえず後期初日から全力全開モードの咲江にドキドキさせられながら、楽器庫へ行き、呼吸を落ち着かせた。
そこへグリーンズのリーダー、大谷がやって来た。

「伊藤くん、サキちゃんにやられっぱなしだったね」

「先輩、どうしたら良いですか?サキちゃんが天然過ぎて、スカートまで自分でまくろうとするから、どうしたらいいのか分からなくなっちゃいました」

「アハハッ。それだけ伊藤くんが、サキちゃんに気に入られてるってことだよね。伊藤くんの気持ちはどうなの?」

「うーん…。先輩、秘密にしといて下さいね」

「勿論!」

「俺も、サキちゃんのことは、好きです。ただその好きが、後輩として可愛いから好きなのか、純粋に女性として恋愛の対象なのか、よく分からないんです」

「そっかー。アタシが見ている限りでは、伊藤くんは女性としてサキちゃんのことを好きなんじゃないかと思ったけどな」

「え?そうですか?」

「うん。ユネッサンでの2人を見てても、天真爛漫な彼女をちょっと大人の彼氏が大切に見守ってる、そんな感じだったよ」

「確かに…。俺、あんまり恋愛経験が無いもんですから、とにかくユネッサンではサキちゃんと遊ぶと言うより、変なことが起きないように見守る気持ちが強かったです」

「それよ、それ。その伊藤くんの気持ちって、既に可愛い後輩って位置付けから、ワンランク上がった状態だと思うよ。大切な恋人として見守ってるってことよ。まだ告白し合ってないのが不思議なくらいよ」

「そうですか…。自分じゃ分からないことも、先輩に指摘してもらえると客観的な意見をお聞きできて、助かります」

「だから告白するタイミングとかは2人のタイミングもあると思うから、アタシはそこまでは干渉しないけど、もういつ告白し合っても、素敵なカップルになれると思うよ。出来たらさ、アタシが卒業するまでにカップルになってよ」

「えっ、なんでそんな〆切りがあるんですか?」

「やっぱりアタシがリーダー務めたバンドから、1つでも多く恋人が生まれて欲しいもん。そしてアタシが結婚式挙げる時には、グリーンズのみんなに来てもらって、1曲演奏頼みたいし」

「わあ、女性ならではの夢ですね」

「でしょ?だから伊藤くんは、しっかりサキちゃんを彼女にして、出来れば結婚までいって欲しいんだ」

「結婚!まだ早いですよ、先輩」

「何言ってんの、もう伊藤くんは二十歳でしょ?サキちゃんだって来年は二十歳なんだし、もう親の承諾なしに結婚できる年齢になるんだよ」

「いやっ、でも…」

「まあこれはアタシの願望が強すぎかもしれないけど、2人はお似合いのカップル、夫婦になると思うんだ。だから、もう将来の人生設計を描いても良いと思うよ」

「いやそれ以前に、就職活動もまだですから、俺は…」

「就職はなんとかなるわよ。この軽音部のOBを頼っても良いんだし。実際にアタシも、軽音部の先輩に助けてもらったしね」

「そ、そうなんですね…」

ここで咲江から、伊藤センパーイ、まだですかー!と言う声が聞こえてきた。

「ほら、未来の奥さんが呼んでるよ。サックス準備して、行ってあげて。みんな揃ったら、アタシと山本くんから大学祭について説明するから」

「はい、分かりました」

伊藤は慌ててサックスを準備して、咲江の元へと戻った。


6「アフター大学祭」

大学祭は11月の3日~5日の3日間行われ、音楽の日は最終日に行われた。
各サークルの順番は例年決まっていて、軽音楽部はトリの交響楽団の1つ前、セミファイナルの位置だ。
各バンドがこの日ばかりは全員結集して、3曲ほどジャズを演奏する事になっている。
この年に幹部メンバーが選んだジャズは、「スペイン」「シング・シング・シング」「情熱大陸」の3曲だった。
咲江は「情熱大陸」はジャズなのかクラシックなのかよく分からなかったが、ノリは完全にジャズのノリということで、選ばれたようだ。
どの曲もサックスの目立つ部分があり、咲江は戸惑っていたが、サックスソロは伊藤が完璧に吹き、咲江は真横で華麗にサックスを吹きこなす伊藤に、恋い焦がれる乙女になっていた。

(伊藤先輩、かっこ良すぎだよ…。)

そして3日間の大学祭が終わり、最終日は後夜祭が行われる。
どの大学でも行われるような、キャンプファイヤーが焚かれてその周りに三々五々学生が集まってくるパターンだが、咲江はこれが大学祭だと、感激していた。

「伊藤先輩!後夜祭に出ますよね?」

伊藤はソロを吹いた疲れで、後夜祭はサークル室で寝てようかとおもっていたが、目をキラキラさせた咲江が誘いに来たので、後夜祭の会場へと赴いた。

「サキちゃん、本番の演奏も良かったよ」

伊藤は、夏合宿より格段に成長した咲江のサックスを、まずは褒めた。

「えっ、そうですか?エヘッ、もう先輩に恥ずかしい所を見せたくなかったですもん、一生懸命頑張りました!でも、先輩のソロは、凄かったです!アタシも先輩みたいに吹きたいな…」

「サキちゃんならすぐだよ。来年は抜かされてるかもね」

「そんなことないですよ、センパイ♪」

咲江は後夜祭のキャンプファイヤーが盛大に燃えさかるのを見てテンションが上がっているのか、自然と伊藤の手を引っ張り、キャンプファイヤーの周りへと連れて行った。

2人は自然と手を繋いだまま、広場の一角に腰を下ろした。

「先輩!」

「ん?なに、サキちゃん」

「アタシ、サックス少しは上手くなりましたか?」

「勿論。さっきも褒めたじゃん」

「いやっ。先輩、もっと褒めて!」

「ハハッ、サキちゃんは元気だな。サキちゃん、本当にこの半年で、未経験者とは思えないほど、上達したと思うよ。これは間違いないよ。だから…これからもよろしくね」

「ハイ。アタシ、伊藤先輩に出会えて、本当に良かったです…。嬉しい…」

咲江ははしゃいでいたのが嘘のように、疲れが出たのか、スーッと眠りに落ち、自然に伊藤の肩へ顔を乗せてスヤスヤと寝息を立て始めた。
そんな咲江を見ながら、伊藤は
(こんな元気な女の子、俺が好きになって良いのかな。もっと別の男の方が良いんじゃ無いか?)
と、ふと思ってしまった。

だが、手を繋いだまま、自然と肩に頭を乗せ、安心して眠りに落ちていった咲江を見ていると、他の男に取られるなんてことは想像もしたくなかった。

(サキちゃん、好きだよ)

伊藤はそう心でつぶやきながら、そっと肩に乗っている咲江の髪の毛を撫でた。
その時、ふと咲江は寝言なのか、「エヘヘッ、伊藤先輩、それアタシのパンツですよ!」と声を上げた。
伊藤はビックリしたが、咲江の顔を見ると、スヤスヤ寝ていたので、夢の中の出来事なのだろうと思ったが、一体咲江は俺を絡ませて、どんな夢を見ているのか気になった。

そのまま後夜祭は終了した。
咲江はすっかり眠り込んでしまったので、伊藤は咲江をおんぶしてサークル室へと戻った。

「おっ、伊藤くん、やるねー」

「違いますよ、完全にサキちゃん、眠り込んじゃったんで、おんぶするしかなかったんです」

確かにおんぶした際には、咲江のお尻を抱えたし、咲江の胸が伊藤の背中に当たったが、そんなことは気にしていられなかった。
サークル室の畳部屋に咲江を寝かせて、毛布を掛けてやり、伊藤はその横で咲江の寝顔を見ていた。

(この寝顔、俺だけのモノにしたいな…)

そんな感情を伊藤が思うと、不思議とその思いに呼応するように、咲江も寝ながら笑顔になるのだ。

(サキちゃん、好きだよ…)

そのまま、大学祭最後の夜は更けていった。


7「バレンタインデー」

大学の後期も終わり、短い冬休みを挟んで、後期末試験が始まった。

この後期末試験の出来で、3年生に進めるかどうか、伊藤には重要な局面を迎えていた。
既に卒論を仕上げるゼミの申し込みは終わらせていたので、後は2年生までに取得しておかねばならない最低限の単位を、この後期末試験で確実に取れるかどうかに掛かっていた。

軽音楽部の活動も、年末にクリスマス会を開催し、4年生の引退式があったくらいで、目立つ活動はなかった。

伊藤は咲江に会えない時間がもどかしかった。

(サキちゃん、今頃何してるかな…)

一方、咲江も後夜祭の後にサークル室の畳部屋へと運んでくれ、毛布を掛けてくれたのが伊藤だと後に知らされて、恥ずかしいという思いと同時に、更に伊藤のことを好きになっていた。

(伊藤先輩、試験勉強してるのかな…。会いたいな…)

大学の慣例で、後期末試験が終わったら、そのまま春休みに入る。
春先に行事があるサークルは、春休みも活動するし、軽音楽サークルも追い出しコンパがあるのでバンド毎に集まったりするが、帰省したりする学生もいるので、基本的には卒業式までサークル活動は開店休業になる。

(このままじゃヘタしたら、追い出しコンパまで会えない!)

奇しくも、伊藤も咲江も試験勉強をしながら同じ事を思っていた。

(後期試験が終わったら、とりあえず軽音サークル室へ行ってみよう)

これも、伊藤と咲江が同時に思ったことだった。

そのため2人とも、必死に試験勉強に打ち込んだ。
そして3週間にわたった後期末試験期間はあっという間に過ぎ去り、いよいよ春休みが始まった。

(サキちゃんに会いたい…)

(伊藤先輩に会いたい…)

離れていても、2人がこれまで築いてきた絆は、お互いに結びついていた。
春休み初日、伊藤も咲江も、自然と軽音サークル室へと足を運んでいた。

「せっ、先輩!お久しぶりです!」

伊藤の方が先に軽音サークル室に着いていた。

「あっ、サキちゃん!元気にしてた?」

「ハイ!伊藤先輩に会いたいなーって思いながら、なんとか試験期間を乗り切りましたよ!」

「サキちゃん、上手いこと言うようになったね」

「いえ、先輩…。一つ、アタシのお願いがあるんですけど、聞いて頂けますか?」

「ん?なんだい?」

伊藤は内心ドキドキしながら、咲江の言葉を待った。

「先輩、2月14日、金沢に帰ったりしてませんか?」

「2月14日?まあバイトがあるし、それ以外にも色々あるから、そんなに金沢へは戻らないつもりだけど…」

「じ、じゃあ、2月14日、アタシ、伊藤先輩に、大切なお話があるんです。その日、サークル室に来て頂けますか?」

「2月14日だね。分かったよ。楽しみにしてる」

「ハイ!楽しみにしてて下さいね」

伊藤はもうその時点で、その日の意味が分かったし、咲江が話したい事柄も分かった。

だが焦らず、2月14日を待つことにした。

咲江は2月14日に向けて、その日から準備に入った。

「お母さーん、バレンタインのチョコ作り、どうすれば良いの?」

「咲江、今度こそバレンタインデーのチョコは成功しそうなの?」

「う、うん…」

咲江は照れながら、母に言った。

「素敵な人を見付けたんだね。よしっ、お母さん、手伝ってあげるよ。まずはね…」

咲江は母の指導を受け、世界に一つだけの、伊藤に贈るチョコレートを作り始めた。

一方伊藤は、もう咲江の気持ちを十分に受け止めていたので、2月14日が来るのが待ち遠しかった。
毎日のバイトをこなしながら、2月14日まで残り何日、とカウントダウンしていた。

そしていよいよ2月14日がやって来た。

伊藤も咲江も、朝早くから目が覚め、いつ大学のサークル室へ行こうかと考えていた。

だがはやる気持ちは抑えられず、お互いに朝イチで大学のサークル室へと足が向いた。

先に到着したのは、伊藤だった。

(サキちゃんはまだか…)

1分1秒が待ち遠しい。
これまでの咲江との出来事を思い出しながら、伊藤は咲江を待った。

しばらくしたら、カチャッと音がした。伊藤が音がした方を向くと、いつになく綺麗に着飾った咲江が立っていた。

「伊藤先輩、来てくれたんですね…」

「当たり前だよ、大切な後輩のお願いじゃないか」

「嬉しいです。先輩、外へ出てくれますか?」

「外へ?分かったよ」

咲江は伊藤をサークル室の外へと呼び出した。

そして、大学祭の後夜祭が行われた広場へと伊藤を連れて行った。

「サキちゃん、ここは…」

「はいっ!アタシが後夜祭で寝落ちした場所です。エヘヘッ」

「そうそう、あの時サキちゃんをおんぶして運んだんだけど、ごめんね、その時サキちゃんのお尻を抱えたし、おんぶしたからサキちゃんの、その、胸が俺の背中に当たっちゃってさ…」

「ううん、そんなの、気にしてないです。それより、コレを受け取ってもらえますか?」

咲江はバッグから、小さな包みを出し、伊藤へと差し出した。

「サキちゃん、コレは…」

「アタシからの気持ちです。先輩、開けてみて」

伊藤は丁寧に包み紙を剥がした。中には箱があり、箱の蓋を取ったら、チョコレートが現れた。
チョコの上には、こんな言葉が書いてあった。

【イトウマサキセンパイ、大好き♡】

「サキちゃん…」

「…アタシ、中学も高校も、男運がなくて、恋愛なんて一生出来ないんだって思ってたんです。でもそんなアタシが大学に入って、伊藤先輩に出会って、これが最後の恋と思って、伊藤先輩のことを思い続けました。伊藤先輩はどんな時も、アタシの味方になってくれて…アタシ、凄く、嬉しくて…」

咲江はそれまでの明るさから一転、涙ぐみながら、必死に言葉を紡いだ。

「先輩の彼女になりたい、そう思ってサックスの練習も頑張りました。まだまだ下手な私を、先輩は上達したよと褒めてくれました。本当に嬉しかったです。先輩、これからはアタシを、サックスの後輩だけじゃなく、恋人…彼女にしてくれないですか?アタシの、お願いです。絶対に先輩を幸せにします!」

伊藤は咲江の心からの告白を受けて、涙が溢れてきた。

「サキちゃん、ありがとう。実は俺も、箱根合宿の時から、サキちゃんは単なる後輩じゃ無くて、俺が守ってやりたい、愛しい存在になってたんだ。だから…俺こそ、サキちゃん、俺の彼女になってくれないか?」

2人は目と目を合わせた。どちらからともなく、自然と笑顔になった。

「先輩…。アタシの初めての彼氏になってくれるんですね」

「もちろん。サキちゃんも、これからずっと、俺のそばにいてくれる?」

「はいっ!もちろんです!」

自然と2人は抱き合い、キスを交わした。

「これからも仲良くしようね」

2人同時に同じセリフを言い、お互いに照れてしまったが、その後も2人は笑いながら、何度も唇を重ね合った。


8「終章」

「お母さーん、チョコ刻んで溶かしたら、今度はすぐ溶けちゃって、慌てて取り出したら、また塊になっちゃった。ねえねえ、どうしたらいいの?」

アタシが旦那さんとの思い出に浸ってる内に、娘は勝手にチョコ作りを暴走させていたよ。

「あーあ、塊になる前に、カップとかに流し込まなきゃ。しょうが無いね、もう一回作り直そうか!」

「ホント?お母さん、ありがとー」

「ただし!お父さんへのチョコも作るんだよ」

「分かってるって。お父さん、アタシからのチョコがなかったら、見てて笑えるほど落ち込むもん」

ピンポーン!

「ただいま~」

「あっ、正樹くん、お帰り~」

「何々、チョコの匂いが凄いけど」

「それは、女同士の秘密だよねー、真美」

「そうそう、お父さんは匂いだけ嗅いだら、とっととお風呂に入って!」

「はいはい、そうするよ」

伊藤は咲江が大学を卒業すると同時に、結婚に踏み切った。
何より咲江自身が、大学を卒業したらすぐ結婚したいと言っていて、伊藤の両親にも、石橋の両親にも、伊藤家に就職します!と言っていたのが大きかった。

幸い真美という子宝にも、結婚して1年目に恵まれ、常に明るい咲江にリードされて伊藤は会社に勤める事が出来た。
今ではサキちゃんという呼び名が更に進化して、サッちゃんになっていたが、咲江は付き合い始めた頃と変わらず、正樹君と呼んでくれる。
それが伊藤には、いつまでも新鮮味があって、嬉しかった。

伊藤が服を脱ぎ、風呂に入ると、脱衣場に人影が見えた。

「正樹君、たまに一緒にお風呂に入ろうよ」

咲江が服と下着を脱ぎ、浴室へ入ってきた。

「ああ、たまには良いよな。若い時を思い出すよ」

「ブーッ!」

「えっ、何か違ってた?」

「アタシ達は、まだ若いの!その気になれば、もう一人…どう?真美の弟か妹…」

咲江はそう言って、体を洗っている伊藤に迫ってきた。

「うん。俺はサッちゃんとなら、いつでもいいよ」

「じゃ、じゃあさ、今年のバレンタインデーは、アタシと正樹君がカップルになって20回目の記念日だから、勝負しない?」

「いいよ、その勝負、受けて立とう!」

「アタシも勝負仕掛けるから、覚悟しててね♪」

アタシの白馬の王子様は、大学を卒業してからじゃなくて、在学中に見付けちゃった。

正樹君、ありがと♪

一生よろしくね💖

サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。