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アキラ

私の父の名前はアキラ。そういうと、イギリス人やヨーロッパ人は「かっこいい。」と言う。アニメのアキラの事がすぐに浮かぶからだ。父の名は昭和の昭と書いてアキラと読む。明治生まれの祖父が選んだ名前だが、結構洒落てると私も思う。昭夫とか昭彦とかじゃなくてアキラ。お爺さんは静岡で材木屋を築いた人で、芸者遊びの最中、三味線が下手だと芸者の三味線を折ってしまうような短気な人だったらしい。すごく怖かったと父が言っていた。私は会った事がない。随分酒とタバコを飲んだ人であまり長生きしなかったらしい。嘘のようで本当の話だが、実は祖父が夢枕に一度だけ立った事がある。私が16の時だった。白い着物を着たおじいさんが夢に出て私に指差して怖い顔で厳しく「これから大変になるぞ。ちゃんとしろ。」みたいな事を言った。次の日母にその話をすると、「それは向谷のお爺さんだよ。」とお爺さんの風貌を説明した。はっきりとはわからないなかったが、母の勘が当たってると感じた。そしておじいさんの予言は当たった。16から25まで大変な経験をした。しかしその話はまた今度にしよう。苦労話の気にならない。結局私は楽観主義者である。むかーしむかーし、私の楽観主義を見抜いた男にプロポーズされた事があった。旦那がどんな苦境に陥ってもあっけらかんとけん玉をやっているような女性を探していたが、まさにそれは君だーと。それって褒めてんのかよ。父のアキラもあっけらかんとした人だ。キリギリスとアリの話で言えばまさしくキリギリスだ。お爺さんの築いた材木会社の役員をやりながら、バンドをいくつか掛け持ちしていた。ジャズ、ラテンをこよなく愛し、美しい譜面を書いた。どんなに真似してもあんなにコンスタントに綺麗な譜面を私は書けない。酔うと政治や経済の話を難しい顔して話す父だったが、それらの話は深酒のブラックホールにドボドボと流れ消えていった。根が楽観的なおぼっちゃまなのでいつまでも若く、70過ぎても友達はみな20代30代の若者ばかり。若者たちの結婚式のベストマンまでやっていた。ノリが軽いので彼からあまり蘊蓄のある発言は期待できなかったが、そんな事はどちらでも良かった。彼は果てしなく優しい人だったから。どんな下らない事を頼んでも嫌だと言わずにやってくれた。娘の意地悪にも怒ったりしなかった。父が亡くなる前日、私は彼が最期に入っていた部屋のソファーに座ってラップトップで用事をしていた。すると父が「おーい、おーい。」と言っているのが聞こえた。喉の筋肉にもう力がなかったので咀嚼も出来なく、胃瘻にしているほどだったので声も微かにしか出ない。「何、お父さん。」と顔を覗いたらにっこり笑って「何でもない。誰かいるかなと思って。」と言った。「私がいるよ。おーい。」と手を振ったらまたでっかい笑顔を見せてくれた。彼の笑顔は100万ドルの笑顔で、ケアの人たちにとても人気があった。本当に可愛らしい笑顔で羨ましいくらいだ。私もお婆さんになったらこういう笑顔ができたらいいな、と真面目に思い、その晩、鏡を見て自分の笑顔をチェックした。犬が笑えと命令されたような笑いしかできなかった。まだまだかなわないな、と思って寝た。次の朝、父は旅立って行った。

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