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父の一周忌と、中華弁当を見て泣いた件


もうすぐ父の3回忌なので、去年の今頃メルマガに書いた記事を少しリライトして掲載します。



先日、父の一周忌がありました。

父は本人の希望で海洋散骨にしたので、お花を抱えて家族で向かった先はお墓ではなく、海でした。

とてもいいお天気で、空も海も真っ青でおだやかでした。


父は79歳で他界したのですが、癌の終末期だったため私も覚悟はできていたつもりでした。

でも、思ったより父がこの世からいなくなった影響は大きくて、その日を境に時間の流れが変わったような感じがあるんですよね。


亡くなる1週間前に家で会った時。

元気はなく、横になっているものの、大きな目から放つ目力は変わらず、会話も普通にしていたので少し安心しました。

とはいえ、食事を食べられなくなっていたため、母がスープを作ったり、少しでも滋養のあるものを食べさせようとしていました。


その母が
「あなたたち、これ食べないわよね?」
と言って冷蔵庫から出してきたのが、中華のお惣菜をテイクアウトしたお弁当。

前日に来た弟が、父に買ってきたそうです。

中を見ると、青椒肉絲(チンジャオロース)、春巻き、シュウマイ、油淋鶏などのおかずが色々と入っています。

いやいや、「脂っこい料理」選手権をやったら確実に上位を独占しそうな顔が並んでますけど…?

朝日の差し込む白い部屋でヨガをやってアボカドとりんごとアーモンドミルクのスムージーを朝食に摂るおしゃれインフルエンサーだったら、見ただけで胸焼けしそうなメンツです。

普通に考えたら、飲み物を飲むのもしんどい状態の人に買ってくるようなものではありません。



でも、でも。

父は味の濃いものが好きなんです。

入院していた時も「味が薄い」と言って病院の食事を食べずに看護師さんに怒られていたし

2ヶ月前に一度退院した時は、帰ってくるなり冷やし中華と牛丼を作って食べていたような人。(withビール)

青椒肉絲も、以前はよく大皿に溢れんばかりに作っていて。
私も父が作ったものを何度も食べたことがあります。


だから、これは父にとってはどストライクなお弁当。

元気な頃だったら「おっ、うまそう」とバクバク食べたに違いありません。ビールを飲みながら。


味の好みがハッキリしていて、食べることが大好きだった父だから、弟も
「好きなものだったら、食べるんじゃないかな?」
と思って買ってきたんだと思うんです。

好物なら、一口くらいは食べたくなるんじゃないかな?

食べてほしい。

ちょっとでも元気になってほしい。

頼む。

と思って。


結局、お弁当には手をつけられず、そのまま残っていたのですが、もう、そんなの愛しかない…。

弟の気持ちを思うと泣けてきて、そのことがずっと心に残っていて、大切な人のためにすることで無駄なことなんてないんだな、と思いました。


思えば、私自身に親を助けられなかった無力感がありました。

実家は、ずっと父と母で食堂をやってきました。

ですが私が30代の頃、経営が危うくなり、私も資金を援助しましたが、最終的には実家の土地と建物を手放しました。


そのことで当時は親を責める気持ちがあったし、「結局あのお金は無駄になった……」と思っていました。

でも本当は、お金がなくなったことよりも親を助けられなかったことが悲しかったんだと思うんですよね。


とはいえ、、、

その後も親は引っ越し先で元気に過ごしていました。

父は
「おかげでお店を続けてこられたよ。ありがとう」
とも言ってくれました。


だから、大切な人のためにしたことや使ったお金は愛だから、それ以上の、計り知れない価値があるのだと思います。


父は、亡くなる1ヶ月前まで、休み休みではありましたが食堂を続け、注文を受けて作って配達していました。

それはすごいことです。

だって、注文してくれるお客様がいるということだから。

お客様がいなければ、仕事はできません。


本当にありがたく、また、そんなお客様がいてくださったのは父の長年のあり方ゆえでもあるわけで、父を尊敬します。

そういえば父は、すぐにお店のお客様と友達になっていたなあ。

ある東京の会社員の方は、ゴルフで千葉に来たときにお店に立ち寄ってくれて、それがきっかけで父と親しくなり、定年後、こちらに移住してきてずっと父と交流していました。


子供の頃は、パリッとスーツを来て出勤する友達のお父さんがかっこよく見えて、うらやましかった。

でも結局人は、自分の思った道を生きるわけで。

この父でなければ私は生まれなかったわけで。



ちなみに1年前、父を散骨した夜は、たまたま流星群が降る日でした。

その日は曇っていたのですが、雲の上ではたくさんの流星たちが輝きながらヒュンヒュン飛んでいたのだと思うと、そんな光が迎えにきてくれたんだと思うと、
「父はなんて祝福されている人なんだ」
とまた泣けてきたのを思いだしました。



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