Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−30

「ちょっと、私の話を聞いているの! マルガレータ・ハンナ・オクタヴィア・マルゴット!」
エミリアは私を怒鳴りつけながら、グイグイとアタシの右手首を引っ張った。
彼女はさっきまで、アタシと向かいの席に座っていたはずだが、いつの間にか隣に移動している。呼んでも反応がないので、頭に血が上ったのは間違いない。
どうやら昔のことを思い出しているうちに、彼女の話を上の空で聞いていたらしい。
「ああ、ごめんごめん。ちょっとボーッとしていた……」
エミリアは、即座にムッとした表情をした。
「ボーッとしてんじゃないわよ! 今後もそんな調子なら、これからはマルガレータのことを『赤ずきん』と呼ぶからね!」
(へいへいどうぞご自由に)と思って視線を上に向けると、彼女は「殴ってやろうか、このバカ女!」といいたげに、右手をグーにして私に見せた。キリキリと歯を軋ませ、丸いはずの目は細くなり、灰色の瞳は意地悪く光っている。エミリアって、歯並びがきれいだな。まあ、これは関係ないか。
「オルガのまねはやめてくれない?」
「だったら、私の話をちゃんと聞いて。私だって、好きでオルガのまねをしているわけじゃないから!」と、エミリアも負けずに言い返す。
オルガというのは、エルヴィラの屋敷に同居している皇女で、彼女の従姉妹だ。皇女なのにけんかっ早い性格の持ち主なので、社交界では鼻つまみ扱いされている。
「わかったわかった、傷ついたのなら謝るから」
といいながら、アタシは両掌を合わせ、会釈をするように頭を下げる。
「もっとしゃんとしてください! 今はファイルに集中する!!」
エミリアは苛立った口調で私に声をかけると、分厚いファイルを指さした。
それから2時間あまり、私とエミリアは、ファイリングされた資料を見ながら、バルツァー一族について討議した。私たちが見ているファイルは、国内の諜報機関が実行した報告書に基づいて作成されたものだ。
レーベンスミッテルゲシェフト・ゲゼルシャフトHDの経営陣は、ほぼバルツァー一族とその親戚で独占されている。社外取締役もいるが、おそらく彼らも一族の言いなりだろう。
「これだけ規模を大きい事業をしている会社の一族って、たいていはどこかでいがみ合っているもんなんだけどね……」
「残念ながら、この会社に限っては、それは期待できそうにないなあ」私の意見に対し、エミリアがため息交じりで応じる。
「経営方針に多少の不満はあっても、余得に預かった方がいいと考えている人間がほとんどということかな?」
「自分たちの生活に支障がない限り、一族間の結束に亀裂が入る事はなさそうね」と、浮かない表情でエミリアが応える。
「現CEOのやり方が気に食わなくても、とりあえず結果が出ているから我慢しましょうということなのかな?」
「それもあるんだけど、現CEOと二人の息子が、社内にスパイ網を構築していて、造反の芽を早期に摘んでいるらしいという話は、私も聞いたことがあるの」
「強権政治、ってやつか」あたしの口から「ハーッ」という息が漏れる。
「子どもの評判はどうなのかな?」
「とりあえず、何から知りたい?」
「社内では、息子たちはどう評価されているんだろうか?」
「経営手腕については未知数ね。そっちは、彼らの父親であるCEOがすべてを掌握しているから。会社案内によると、長男アントンが広報戦略を、次男ヴィルヘルムが財務面を担当しているそうよ」
「といっても、お目付役がついているんだろうけどね」
「さあね、それはどうかな」
「交流関係について、何かつかめているかな?」
「いろいろと、黒い噂が絶えないわよ。親子揃って」頬杖をつきながら、むっつりした表情でエミリアが返答する。
「まず父親。こいつは、以前からマフィアと付き合っているという噂が、ひっきりなしに流れている。決定的な証拠がないから、単なる『噂』にとどまっているけどね」
「息子達は、女癖が悪いと」冗談めかして声をかけるアタシに
「ご明察」即答するエミリアの眉間には、深い谷間が現れる。
「これまで何回も女性トラブルを起こしているけど、父の威光を借りて、スキャンダルをうやむやにしているみたいでね……」
「叩けば叩くほどホコリが出そうな一族ね。もちろん、社交界の評判も…」
「最悪なんてもんじゃない。特に食事やパーティーのマナーがなっていないって…」
「で、そんな一族を男爵に画策する人間がいるんだ?」呆れた口調でエミリアに尋ねると
「この国の総理を10年近くやった人間がいるでしょ? ア・イ・ツ」彼女が私の目の前で、人差し指をゆっくり動かしていると、立体表示装置のアラームが鳴り、ディスプレイから侍従長の姿が現れた。
「皇太孫殿下、エッカルト・フォン・フリートベルク=ハンケです。王様がお呼びです」

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