Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−27

「ほら、洗面台はこっちだから、さっさと顔を洗いなさい。私もメイクを直すのを手伝ってあげるから」
アタシがエミリアに声をかけると、義妹は力なく頷いた。
「メイク落とし、あなたは普段なにを使っている?」というアタシの質問に対し
「ミルク……」と、力なく答えるエミリア。
「うんわかった。ミルクタイプね」と言いながら、アタシは自室の化粧棚をかき回す。
ええっと、そんなのどこにあったかな? 確か、ちょこっとだけ使って、棚の奥に放り込んだやつがあったと思ったんだけど。ごそごそ棚の中をかき回し、ようやくお目当てのものを探り当てた。ああこれだこれだ。彼女は喜んでくれるかな?
「ああ、あったあった。ハイ、これね」と言いながら、アタシはエミリアがご所望していた(と思う)、化粧落としのチューブを、彼女に渡した。エミリアは、渡されたチューブが、自分が普段使っているタイプかを確認する。
「これです、私がいつも使っているタイプの化粧落としは。ありがとうございますお姉様」エミリアの口から出た謝意の言葉は、アタシが注意深く聞き耳を立てないと、聞こえないほど小さかった。アタシと会釈をすると、よろよろとした歩調で洗面台に向かう。アタシは彼女の背中に、怒りと悲しみが入り交じった感情を感じた。
「ちょっと待って。あなた、洗面台を使うんだよね」と、私はエミリアの背中越しに声をかける。
「はい、お姉様」
「タオル持ってきている?」
アタシの声にビックリしたのか、彼女は私の前で立ち止まると、そのままその場に立ちすくんだ。
「……持ってきていないです……」私に振り返った義妹の顔は、恥ずかしさもあったのだろうが、普段から何かと張り合っている人間に、弱みを握られたと思ったのだろう。頭からつま先まで、全身がブルブル震えているのがわかる。
(しょうがないわねえ)と思いながら、アタシは新品のタオルを、タンスから引っ張り出した。お互いいがみ合っているから、ボロいタオルでもよかったが、そんなことをやったら、彼女がアタシに協力することはほぼなくなるだろう。だったら、ここは彼女に貸しを作った方が賢い。
「はい、これを使いなさい」と私は言うと、赤紫色のタオルを彼女に手渡した。
「タオルまで、わざわざすいません」妹はアタシに深々と一礼すると、踵を返して洗面室に入った。
義妹の先ほどからの表情を見る限り、どうやらこれはお芝居ではなさそうだ。ひょっとすると、今回の事態は、彼女との関係を改善する絶好のチャンスかもしれない。
おいしいコーヒーを飲みながら、彼女の愚痴を聞いてやるとしますか。
そう判断したアタシは、応接間にある食器棚から、コーヒーカップ2客をテーブルの上に置いた。
アタシに限らず、皇族や貴族の部屋に置かれている家具・調度品は、ムダに豪華だ。アンティークゴールドに彩色された木製の外壁に、ロココ調の模様と猫足が施された食器棚。食器棚と同色の円形テーブルと椅子の応接セットは、足はかなり手の込んだ木彫細工が施されている。
今アタシが食器棚から出したコーヒーカップは、やや小ぶりの筐体に、ロココ調の婦人が、数人戯れている様子があしらわれているデザインで、ソーサーの縁は、柔らかい群青に金縁が施されたもの。ブランドは、もちろんマイセンだ。
これだけ手の込んだ製品だから、お値段も値が張る。1客4,100テーラーは、庶民が使うそれの約30倍するものだ。居間に敷かれている、ワインレッドのトルコ絨毯は、安く見積もっても50,000テーラー以上になるだろう。アタシの屋敷に限らず、貴族や皇族の部屋には、値段を聞いただけで、庶民が絶句するような値段の品々が、そこかしこにあるのだ。
自分たちの見栄のために高級な品物を使う貴族達を、アタシは心底軽蔑している。何しろ彼らの大部分は、商品の由来はもちろん、用いられている製法や施されているデザインを聞かれると、満足にに答えられないのだから。こんな連中に使われる食器や備品が哀れだと、アタシはいつも思っている。
あたしが二人分のコーヒーを淹れ終わってすぐ、洗顔を終えたのか、洗面室からエミリアが出てきた。あたしの顔をいるなり、彼女はありがとうございますとお礼を言いながら、チューブとタオルをアタシに差し出した。
「どうだった? その化粧落としとタオルの使い心地は?」
「よかったですわ、お姉様」
「へへっ、いいでしょう。どちらも、あたしのお気に入りなんだ」とアタシがいうと
「このタオル、肌にやさしい感じがします。それと、吸水性がいいのでビックリしました」と、先ほどより晴れやかな表情で、エミリアが応える。
エミリアが使ったそのタオル、80ターラー(庶民用タオルの10倍!)するんだから、吸水性がいいのは当然よ。妹の笑顔を眺めながら、心の中でアタシは独りごちる。

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