Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁-36

「あなた、この国の皇女ってわかってる? それもただの皇女ではなく、高い皇位継承権を持った皇女である立場なの。そんな人間が、公衆の面前で暴漢に襲われた。それが原因で、護衛の人間が責任を問われ、その座を追われるかもしれないということを、マリナはどう考えるのよ?」
言葉遣いこそ丁寧だが、その口調は、反論を許さないといわんばかりに冷徹だ。そう、彼女は職務のためならば、悪魔にもなれる人間なのだ。
「『適当にごまかせ』ですって? あなたはいつから復古派と同じことを言うようになったのよ? 見損なったわよ、マリナ」
私を戒めるアネットの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。
先ほど彼女が口にした「適当にごまかせ」というのは、今我が国で勢力を伸ばしている復古主義政党である共和党、国民党の幹部とその支援者が、自分たちに都合の悪い質問をされると、返事代わりに放たれる常套句だ。
10年以上前、復古派支持者と見られている政治家を中心に疑惑が発覚した際、内輪向けの会合で、彼らの発言を撮影した動画が、ネットの暴露サイトにすっぱ抜かれたことがあったという。この言葉は、それがきっかけで世間に広がったといわれている。
「じょ、冗談じゃない。私が復古派のシンパなわけないでしょ?」私は、視線をアネットに向けた。「逆に、彼らに命を狙われているのに!」
「蒸し返したくないけど、私はさっきいったよね。『エルヴィラがケガしたら、私だって責任を問われる、ゴシップ雑誌にあることないこと書き立てられる。それで辛い目に遭うのはマリナだ』って。その結果、あなたは両陛下からご下問され、私は……」
といったきり、フリーダは絶句した。
彼女が所属先でどんな目に遭ったのかは、日頃周囲から「KYな姫様」といわれる私でも、おおよその察しはついた。
各諜報機関への連絡と調整、宮内省関連部署への根回し、その他諸々の些末にして膨大な後始末の業務の数々。もちろんその中には、FGIKFへの報告と今後起こりえる出来事に対する対策も含まれる。これらの仕事のために、彼女の本来の業務は後回しになった。
「マリナは『ひどい目に遭った』と思っているかも知れないけど、そう思っているのは私も同じよ!『お前がついていながら、どうしてこうなった?』と問い詰められるこっちの身にもなってよね!」と、フリーダは金切り声をあげる。
「じゃあ、どうしたらよかったのよ! あなたはいつも『ノブレス・オブリージュのかけらもない皇族や貴族ばかりで嘆かわしいやら腹が立つやら』ってこぼしていたじゃない。だから私は……」
「その精神を、あの場では出すべきじゃなかった」氷のように冷たい声を放つと同時に、フリーダが私に近づいてきた。
「じゃあ、どうしろとでも? あの状況を無視して、とっとと離れるべきだったとあなたはいいたいの?」と、私もフリーダににじり寄る。
「二人とも、落ち着いてよ。マリナ、とりあえずこれを見て」と、意識的に平静を装いながら、アネットが私たちに話しかける。
彼女は自分の左腕に装着する携帯立体通信装置、通称「mStemac」を起動させ、インターネットブラウザ「フェネステラ」を立ち上げていた。フェネステラの画面は、ニュースサイトのトップページを表示している。
そこには、今朝の一件に関する記事が、センセーショナルな見出しつきで紹介されている。事件が起きてから、まだ2、3時間しか経っていないのに。
「あなたが義侠心から起こした行動の結果がこれよ。高い代償よね? それでもあなたは『ノブレス・オブリージュが……』って言い張るの?」
「参ったなあ。もう記事になっているんだ?」一通り記事に目を通した私は、テーブルの上に突っ伏した。「治安機関、箝口令を敷いてくればよかったのに」
「ムダよ」右掌を左右に振りながら、決然とした口調で、フリーダが言葉を吐き出す。
「男は店員を怒鳴りつけていたから、その時点で状況を、ネットにUpしようと待ち構えていた来客は、少なからずいたはずよ。その様子を見たネットユーザーが、SNSやまとめサイトで拡散する。客室内には、腕に覚えがある人間もいただろうから、あなたが突っ転ばさなくても、誰かが取り押さえていたはずよ」
「マリナ、さっき箝口令っていったけど、我が国は独裁国家じゃないですからね。議院内閣制を敷く立憲国家だから」と、アネットも言葉を続ける。
「今時、完全にネットを遮断できる国家なんて存在しないわよ。どの国も、国内の通信インフラは、ネットと電話が一体化しているの。ネットを遮断するということは、その国は電話回線が使えないことを意味しているから、それを忘れないように」
フリーダの講釈に私は、即座に「ご丁寧な解説をどうも」と返す。
「それでさ、これを見て欲しいんだけど」アネットが、私たちに話しかける。

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