Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−33

首都グラーツにある大学の学生は、全員がグランゼコールに通うと信じて疑わない。アルマの無邪気さに、クラウスは目眩を覚えた。
しかしそんな感情を、普段から世話になっているアルマにぶつけるわけにはいかない。彼は大きく深呼吸をした。
「どうしたね? あたしゃ、おまえさんの気を悪くするようなことをいったかい?」
「いいえランペルツさん。すべての大学生が、グランゼコールを目指していないし、実際行けないし。それにグランゼコールって、学費が高いんですよ」
「タダじゃないのかい?」クラウスの発言に、目を丸くするアルマ。
「いやいやいや」クラウスは、アルマの目の前で右手を振る。
「一番学費が安いグランゼコールだって、年間3万フロリンかかりますよ」
「3万フロリン」という言葉を耳にしたとたん、アルマは「ひぃぃぃ!!」という奇声を出し、目をひんむいて驚いた。
「なんだってぇ! グランゼコールっていうのは、そんなにカネがかかる学校なのかい?」
「ええそうですよ。年間の授業料だけでそのくらいかかります。他にも教科書代だのなんだので、最低でも3万5千フロリンかかりますよ」
「ひぇぇぇぇぇぇ! あたしゃおったまげた。3万5千フロリンっていったら、私と父ちゃんの稼ぎを合わせても、まだ足りないじゃないの!」
3万5千フロリンという金額は、この国の中位中流階級に属する市民の年収より、ちょっと高い金額だ。
クラウスはアルマに、さっき口にした金額が、父親の年収の約2倍である事、グランゼコールに行くためには、グランゼコール準備級といわれる学校に通う必要があり、その学費もかなり高いこと、準備級に行っても、グランゼコールの合格率は2割弱であること、勉強がハードな分、就職希望者は全員希望する会社に入社でき、年俸も一般大学卒業者の倍近いことを、順序立てで説明した。
「へぇぇ……」アルマは、口をぽかんと開けたまま、椅子に反っくり返る。
「あたしゃよくわからないけど、要するに、あたしらにはとんとご縁のない人たちのための学校、と理解すればいいのかい?」
「まあ、そういうことです」
これ以上、どうやってやさしく説明すればいいんだ。心の中で、クラウスは毒づく。
まあいいや。どんなに丁寧に説明しても、わからない人間にはわからない。クラウスは、無理矢理自分で自分を納得させることにした。そう思わなければやってられない。もっと口の達者な人間が説明したら、アルマみたいなオバハンにも理解できるという考えは、クラウスにはないようだ。
「エルヴィラ姫様やフリーダちゃんは、確かグランゼコールの学生さんだっていっていたよね。あの娘たちも、やっぱり受験勉強をして……」
「いいえランペルツさん、あの二人が通っているのは宮廷行政学院といいましてね……」
アルマの話を遮り、クラウスは宮廷行政学院について説明する。この学校は、準備級に通うことなく高校から直接入れる、国内唯一のグランゼコールなんですよ。受験倍率はかなり高い上、学生も貴族や皇族の子弟が多い。学費だって、父の年収の何倍もする。だからそこの学生は、庶民とは住んでいる世界が違うんです……。
「ふーん、そうなんだー」
アルマは、神妙な面持ちでクラウスの説明を聞き終わると、生ぬるくなったコーヒーをグビッグビッと音を立てながら、一気に飲み干した。
「いわれてみればさあ、あの二人は、我々とは雰囲気が全然違うわよねぇ」
アルマは、空になったコーヒーカップを、机の上に静かに置いた。
「そりゃあ、我々とは違う世界に住んでいますから」
「ねえクラウス」曖昧な笑みを浮かべながら、アルマはクラウスに話しかける。
「何でしょうか? ランペルツさん」
「エルヴィラ姫様みたいな人が大勢いたら、世間は今よりは少しはマシになるのかねぇ」
「ハハハ……」クラウスの口からでた笑い声は、アルマに対する嘲りの感情がたっぷりと含まれていた。
「どうでしょうかね……彼女みたいな人間が世間に溢れていたら、それはそれで問題だと思いますが」
「でも、ラッシャーみたいな人間だらけの今よりは、ずいぶんマシだと思うけどねぇ」
アルマはしょんぼりした口調で言い返し、視線を時計に向けると
「うわぁ、まずい! あたしゃ、もう休憩時間終わっちゃうよう。またラッシャーとその取り巻きに、ネチネチ嫌み言われちまう」と叫ぶと、勢いよく立ち上がった。
「クラウス、私の愚痴に突き合わせちまって、悪かったねぇ。それじゃ、私はでるから、片付けよろしくね」
「いえいえ、こちらこそお世話になったのに、何のお礼もできていなくて」とクラウスが言い終わらないうちに
「それじゃあね、クラウス!」アルマはクラウスが言い終わらないうちに、慌ただしく休憩室を出て行った。それが、クラウスが最後に見たアルマの姿だった。

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