Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁-38

もとはといえば、フリーダの忠告を無視した私の行動が原因だ。彼女ですらそういう態度なのだから、キャサリンも上官から、厳しい言葉で叱責されたに決まっている。彼女も今頃は、職場で肩身の狭い思いをすると同時に、私に対して憤りを抱いているはずだ。
私が口を閉じると同時に、執務室内には重苦しい空気が漂った。フリーダとアネットは、鋭い眼光を私に向けると、無言で私に謝罪を要求した。いたたまれなくなった私は、再び視線を窓から見える景色に向ける。
穏やかな太陽の光を、すんだ空気が包み込む。宮殿の中庭を飛び交うのはスズメだろうか。いいなあ、私もスズメみたいに気ままにあちこち飛び回れたらな……と物思いに耽ろうとした時、アダルベルト事務局長が口を開いた。
「殿下が、一歩間違えれば殺されたかもしれないのは確かです。犯人をうまく階段に誘導すると、一瞬の隙をついて足を出し、階段から突き落としたと聞いた時は、殿下もなかなかやるなと思いました。しかし……」そこまで言うと、事務局長はコーヒーを一口含み、ゆっくりと飲み下した。それを見た私は、彼に相対するようにソファに座る。事務局長は私が着席したのを見届けると、再び口を開いた。
「犯人の頭を靴で踏みつけたのは、私もやり過ぎだと思いますよ。犯人は刃物を振りかざしたのではなく、素手で掴みかかったのでしょう?」
私が事務局長の問いかけに「はい」と返答すると、彼は「だったらなおさらです」と即答した。
「女性とはいえ、殿下が駆使する護身術はかなりのものです。犯人の腕をひねりあげれば、相手はあっという間に音を上げたはずです。違いますかな?」
「あの時は、つい頭に血が上って……」
「いけませんねえ……」事務局長はゆっくり頭を左右に振りながら、穏やかな口調で私に話しかける。「気持ちはわかりますが、そこはこらえないと」
「あの時マリナは『どうだ』と言わんばかりの表情で、犯人の頭をつま先で踏んづけていたわよね」紅茶をすすりながら、フリーダも口を挟む。
「その写真、ネットにしっかりと拡散されているよ」といいながら、アネットがmStemacの画面を、私たちに見せる。後ろ姿であるが、右足のつま先は、しっかり犯人の頭を踏みつけている。
「これはいくらなんでもやり過ぎです、殿下。庶民の殿下に対する印象が悪くなる」写真を見た事務局長の声は、明らかに震えていた。
「どうするの、これ? 留置場で犯人が『頭が痛い。あの皇女が、俺の頭を踏みつけたからだ』っていいだしたら、真っ先に疑われるのはマリナなんだよ」フリーダの甲高く神経質な声が、部屋中に響き渡る。
「どうしよう……」私は動揺して口ごもると、視線を足下に向けた。
禁煙スペースで、店員の警告を無視して喫煙した犯人が悪いとはいえ、私の行為も、下手をすれば、犯人側の弁護士から「過剰防衛だ」と告発されるだろう。私が犯人の弁護士だったら、真っ先にそうする。
視線を床に向けたまま両手で頭を抱え、つま先をトントンと鳴らしていると、アダルベルト事務局長が「まあまあ、みなさんこれを見てくださいよ」と、私たちに声をかけると顎をしゃくり上げ、自分のmStemacを見るよう促した。
「何を見ているのですか」と言いながら、フリーダが近づく。事務局長は自分のmStemacの画面に「ゲフリュスター」を表示していた。これは、世界で最も利用されているSNSサイトの一つだ。女性陣も自分のStemacで、SNSにアクセスすると、一斉に視線を彼に向ける。
事務局長はコホン、と一つ咳払いをすると、「先ほどこちらのサイトで、殿下の名前と『皇女襲撃』というキーワードで検索をかけてみました」と、私たちに語りかける。
「そうするとですね、こちらでは、殿下に同情する意見が8割以上を占めてお……」
「あっちではそうでしょうよ!」アネットは書記官長の発言を遮り、険しい表情でまくしたたてる。
「ゲフリュスターの利用者層を知ってて言っています、アダルベルト事務局長。あそこは、中位中流階級が8割以上ということを」
一女官と事務局長では、後者の立場が上であるのはいうまでもない。私はすぐさま、アネットに注意する。
「ちょっとアネット、今の態度は、事務局長に失礼よ。すぐお詫びしなさい」
「はぁ? ちょっとマリナ、どこが失礼なのよ?」挑発的な表情を目に浮かべながら、私に口答えするアネット。ここで彼女の頬を張れたら、一瞬だけ気分が楽になるだろうし、主人としての面目も保てるだろう。だがそんなことをしたら、アネットはますます意固地になるだろう。手を挙げたいという衝動を、私は辛うじて抑える。
「アネット、主人である私の言うことが理解できないの! アダルベルト事務局長に、今すぐ謝りなさい!」胃が痛くなるのを感じながら、私は叫んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?