死にたい気持ちとは一生付き合うと思っていたけど別にそんなことはなかった

初めて「死にたい」という気持ちを自覚したのは、確か10歳頃のことだ。
可愛いピンクの鍵付きノートに、「母を殺してわたしも死にたい」と書いた。「でも怖くてできない。だれかやってくれないかな」とも。その後もそのノートには繰り返し繰り返し「死にたい」と書いたのを覚えている。
小学校はつまらなくてしんどかったし、理不尽で感情的な母は大嫌いだった。自分のことも好きではなかった。

でも私には、死ぬまでの痛みや苦しみに耐えてまで死のうとするほどの積極性はなかった。頭の片隅にいつも死を思い、時に親の目を盗んで包丁を持ち出して眺めてみたりしながら、特に何もしないまま小学校生活は終わった。

成り行きで受験して行った中学校はとても面白かった。
気の合う友人もでき、学校生活も趣味も充実していて、「死にたい」という気持ちの上に「でもまだやりたいことがあるから死ねない」という感情がのった。
でもただ上に乗っているだけなので、「死にたい」が消えた訳ではなかった。ちょっとつらいことがあるとすぐ顔を出すその気持ちを、「でもまだあの本読んでないし」「あの映画も観てないし」と宥めながら付き合う生活が始まった。どうしても気乗りしない発表を避けたくて親のいないすきに家の階段から飛び降りたりはしたが(軽い打ち身で終わったので普通に出席した)自殺を実行するほどの強い感情が表出することはなかった。

続く高校生活も楽しかった。学業は更に面白くなり、良き友人にも恵まれ、今が楽しいという感情が死なない理由だとはっきり自覚するようになった。

でも、なんとなく「死にたい」という気持ちは、いつも私の傍にあった。人生が面白くなくなった時は死のうと常々思っていた。幸い、人生はまだまだ面白かったので、私は死を決意することなく高校を卒業した。
なるほどこれが「死にたい」という気持ちとの“普通の”付き合いかたなのだろうと、当時の私は理解したつもりでいた。そう、人間というのはみな、多かれ少なかれ希死念慮と共に行きているのだと、それが普通なのだろうと、私は思っていたのだ。

そんな折、友人の一人が自殺未遂をしたと聞いた。
もちろん本気で心配し、そんなに悩んでいたことに気付けなかった自分を恥じたが、一方、心のどこかで「すごいな」と思ってしまう自分もいた。私は思ってもずっと実行出来なかったことを、あの子はしたんだ。やろうと思えばできるんだ、と。


親元を離れた大学生活も楽しかったが、とある翳りが訪れた。
今はまだその話を誰かにできるだけの心の整理が出来ていないので根本の原因については一旦置いておくが、とにかく、蓋をしていた「死にたい」という気持ちが、段々抑えておけなくなってきたのだった。
死にたさは人生の楽しさで抑えられるとを知っていた私は、出来るだけ楽しく過ごそうとした。趣味に邁進し、恋愛をし、友人と遊ぶ予定を入れた。好きなことをしている時は確かに死にたい気持ちは少し弱まった。

だが、悪化する精神状態は徐々に生活を侵食してきた。
起きなくてはいけないのに布団から出られない。
身支度をすべて整えたのに玄関に座り込んで出かけられない。
電車に乗ったのに目的の駅で降りられずにわざと乗り過ごしてしまう。
一人でいるのは寂しいのに知り合いに会うのは怖い。

迷走してたくさん余計なことをやらかし、とうとう行き詰まって「死にたい」が許容値を超えた私は、突発的に部屋で首を吊った。
だがまあ、ちゃんと用意をしていた訳ではないので普通に失敗した。
その拍子に色々なところに打ち付けた身体の痛みで泣きながら、ダサいなあと何だかおかしくなってしまった。あとやっぱり死ぬのは怖かったので、ちょっとだけホッとした。

この時点で正しく医療に助けを求めるべきだったんだと今は思う。
でも私は両親に助けを求めてしまった。親、特に母は私が精神科へ行くことに強く反対し、それでも、色々なものを諦めて実家に帰ってくることは許してくれた。

そんな状態のまま逃げるように地元で就職し、結婚し、当たり前だが順調にいくわけがない。ブラック気味で多忙を極めストレスの高い仕事、上手くいかない結婚生活、将来の不安。何もかもが「死にたい」という気持ちに結びついたまま、それでも死ぬのは怖かったので、なんとか生きていた。

子どもが生まれると、生まれて初めて「死ねない」という気持ちが湧いた。こんなに可愛い我が子を遺して死ぬわけにはいかない。それは絶対だ。
でもそれは決して希望ではなく、絶望だった。
つらくなったら死ねばいい、という、常に私の傍にあった心の受け皿が奪われることと同じだったから。

極めて悪化した私の精神状態に耐えかねた(元)夫が、「精神科に行こう」と言った。今思えば悪化原因の一つでもあった人間に言われたくない気もするが、もはや自分で病院の予約すら出来ない状態に陥っていた私にはありがたい提案だった。今もその点は感謝している。
彼に予約をしてもらい、連れて行ってもらって、私はついに、ようやく、精神科の扉を叩いた。

泣きながら現状や思うことをあれこれ話した私に医師が告げたのは「長期的なうつ状態と軽度の発達障害疑い」
驚きはなかった。正常ではないというのは流石に自覚していたからだ。
それでもその時はまだ、中学や高校時代のような、死にたさとうまく付き合える状態=普通、に戻していくのがこれからなのだと思っていた。
でもそれは間違いだった。


投薬を含めた治療をして、はや数年。
少しずつ冷静になって自分の周りを見回して、色々なことを整理した。運転免許を取得した。離婚もした。時短勤務ではあるが良い職場が見つかり、Wワークで忙しい中でもなんとか子どもと楽しくやっている。

そうしてわかったことは、「死にたい」という気持ちが傍にあるのはそもそも状態異常である、ということだ。

現在の私には「死にたい」という気持ちがほぼない。
しんどいことはそれなりにある。将来の不安もある。それでも、つらかったら死ねばいいとか、人生が面白くなくなったら死のうとか、そういう気持ちはなくなった。そうならないように、人生を面白く生きられるように、何をしていくかが大事だと思えるようになった。
長生きしたいとまでは特に思わないが、あまり早死はしたくない。我が子の成長をきちんと見守って、人並みに年をとって死ねればそれで良い。

そんなことを自然に思える状態に、私はようやくたどり着いた。
私は、20年以上前からずっと、おかしかったのだ。


もっとも、今の状態が本当に「正常」なのかどうかはわからない。
微量とはいえ現在も服薬は続いているし、薬のお蔭でそうなっているだけなのかも知れない。自分が歳を取って、神経が図太くなってきただけかも知れない。たまたま今の人間関係が落ち着いているから、そんなことが言えるだけなのかも知れない。

ただ、今のほうがずっと生きやすいのは確かだ。

希死念慮と隣合わせで行きていくのが当たり前だと思っていた当時にはわからなかったが、それはあまりにもリスクが高い。私のように何かをきっかけに「死にたい」気持ちが暴走することもあるし、本当に命を断ってしまう可能性もある。

どうせ人間はいつか死ぬ。
だったら、死にたいなんて思わずにその時まで楽しく生きていられる方が良いに決まってる。


そんなことを思いながら、自分のこれまでを振り返ってみた。
これはあくまで一個人の体験談だが、もし今「死にたい」と思っている人がいるのなら、どうか、それが当たり前の感情だとは思わないでほしい。自分は状態異常だと思ってまずは休息を取り、病院に行くのが一番のおすすめだ。
一人で悩まずに、専門家に相談しよう。

よろしければお願いします。