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自分の価値は決められるのか、作りに行くのか

自分の価値はどこで決まっているのかなぁと考える。

社会に大きな成果を残した時? 誰かから「ありがとう」と言われた時? 親孝行をした時? 一体いつなのだろう。

いつまでも私は、自分について誰かから見た「相対的な自分」を考えがちだ。あの人が嫌な思いをしたらどうしようとか、こんなことしたら嫌われるかも、とか、気をぬくとナチュラルに考えてしまっている。

友達との女子会で、まだ付き合っていない男の子とデートへ行く時、どんな部分をチェックするかの話になった。次々に条件が出てくる友達に対して、「めんどくさい女だって思われちゃわない?」と聞くと「私はこういう価値観だから。それをめんどくさいと思う人は私も好きじゃないし、お互いにとって良くないと思うんだよね。”自分はこうしたい”があって、それと同じ人と付き合いたいから。」と返ってきた。

なるほど、と思った。例えば初デートでも割り勘主義の男の人は、それを良しとする女の人と付き合えばいいだけだ。「初デートは全部出してほしい」と思う女の子にアタックをしなければいい話。割り勘が正義でも悪でもない。ただ単に、「自分はこうだ」を持っているだけなのだ。

「相手に合わせて」なんて言って、実は心の中でモクモクとしたわだかまりを抱えていて、それが発散できずにいるならなんて不幸なことだろう。こうしたほうがいいとか、行動そのものの良し悪しは特に考えず、「自分はこう思う」をもっと増やしていった方が、居心地のいい方へ判断できるようになるのだろうなぁ。

「自分の価値はどこで決まっているのか」なんて考えるのではなくて、「どこにおいて、自分の価値を作りたいのか」を考えた方がヘルシーな気がする。相手からジャッジを下されるだけじゃない。私だって選択権を持ってるのだから。

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テーマ #ついついやってしまうこと

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