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信じたいことを信じる、いま

永平寺でおこなった3泊4日の参禅研修では、最高齢で72歳の男性が来ていた。真っ白な髪の毛だが背筋が伸びていて、見た目からは60歳程度に見える男性だった。物理の教師を定年すぎまで勤め、退職してからぽっかり穴が空いてしまったらしい。

人生80年と考えるとあと8年、死ぬときを考えると不安になってしまう、とお坊さんに話していた。


「先生ともっと、話す時間が欲しかったなぁ」

帰り道、参禅研修で一緒だった親子に偶然会って話していたとき、お父さんのKさんがそう呟いた。男性たちの間では、彼のことを「先生」と呼んでいたらしい。

Kさんは穏やかで人好きだ。永平寺の後に立ち寄った東尋坊で話しかけてくれ、Kさんの借りたレンタカーに乗せてくれたり、新幹線でも「横並びで席を取って、ビールを飲みながら帰りましょう」と、研修中には一切口にできなかったお酒と、牛肉のたっぷり入った駅弁を奢ってくれた。

「私も、死後の世界をすごく考えた時期があったんです」と、ロング缶のビールが2缶目に入った頃、顔が赤くなったKさんが話し始めた。

仕事で2時間未満の睡眠が1ヶ月ほど続き、会社に寝泊まりしていた数年前のある日、風邪を引いて久しぶりに家に帰った事があった。目が覚めると身体が全く動かず、なんとか病院へ行ったら、“筋肉が溶けてしまう難病”と診断され、1年も生きられないと宣告されたそうだ。

有名な医者のいる香川まで行って入院、それからは難病にかかって回復した人の本や、死後の世界について言及した本を読み漁り、毎朝窓の外を見ては「半年後にあの土手を、自分の力で歩くんだ」と、歩いた時の土の感触、風が顔を吹き抜ける様子までイメージし続けたという。

死ぬのが怖い、と思っていた気持ちも、1400人が経験した臨死体験をまとめた本を読んだことで、次第に死ぬことに対する恐怖も和らいでいったそうだ。

「そんな経験をしてからは、生きているだけでありがたいと思うようになったし、毎日が幸せでしょうがないんです。そして、明日死ぬ、と言われても、今はしっかり受け止められますよ」と話すKさん。顔は少し赤みが引いて、目尻にできたしわが優しい表情をつくっていた。

私は今、実家へ向かう電車の中にいる。スーツ姿のサラリーマンに四方八方を囲まれ、斜め右のつり革にようやく手を伸ばし、左手でスマホをにぎっている。

平日の夜に実家へ帰る理由は、小さい頃から一緒に遊んでくれた母の同僚・せっちゃんがホスピスに入ったと聞いたからだ。週末まで待っていたら後悔するかもしれないと知り、翌日のリモートワークを申請して会社を出た。

1度自宅に帰り、着替えと、小学生の頃にせっちゃんからもらったぬいぐるみをバッグに入れたら、今までの思い出がぐるぐる蘇ってきた。

中学を卒業した時はトートバッグをもらったこと。大学卒業の時は母と3人でご飯を食べ、一緒にカラオケに行ったこと。「みいちゃん(小さい頃の私のあだ名)、音痴治ったね! 小さい頃はお母さん心配してたんだよ!」と嬉しそうに言われて、嬉しいような、単純に喜べないような、複雑な気持ちになったこと。この時も、小学生の頃も、せっちゃんの歌う安室奈美恵の「Can you celebrate?」を、上手だね、と母と聞いたこと。

Kさんは新幹線の中で、本の内容を丁寧に説明してくれた。

「死ぬ直前、幽体離脱をした後は思い出の場所を巡って、その後にすごく身体が軽くなって、ストレスのない幸せな世界を経験するらしいですよ。読んだ本曰く、地獄は無いそうです。まぁそこは、死んだ人にしかわからないですけどね」


生きている私たちがどんなにあれこれ考えても、死後の世界は死んだ人にしかわからないよなぁと思う。地獄はあるのかもしれないし、無いのかもしれない。臨死体験した人が言う“幸せな世界“の先は、誰も知らない。

だからこそ、今できることと言えば、自分の信じたい未来を信じること。自分が幸せでいられる方を見つめること、なんだろうな。

……電車は実家に近づくにつれ、どんどん人が少なくなってきた。この座席に座っているのは、私と、大学生くらいの女の子だけだ。せっちゃんにかける言葉をあれこれ考えて、もう2時間近く経つ。けれどたぶん、会ってみたら何も言えないような気もしている。

頭で考えたもろもろはnoteに残して、明日は「“ありがとう”が言えたら100点」にしよう。

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