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電車で席を譲ることと、肩を借りて眠ることについて

電車で前に立った人が、杖をついていた。座ってスマホの画面を見ていたら、ひょこん、と杖が視界に入った。

杖をついているのだから、立っているのはつらいだろう。私は顔をあげて立ちあがり、「どうぞ」と言って席を譲った。席を譲った相手は60~70歳くらいで、おじさんと呼ぶかおじいさんと言うか、微妙なところだ。彼は「あぁ、ありがとう」と言って座る。私は人ごみをかき分け、少し離れたところで吊革につかまった。

気軽にできる気持ちいいことは、立っているのが大変な人に電車で席を譲ることだと思う。ちょっと立ち上がるだけで「ありがとう」とお礼を言われるのは、ささやかながらもやっぱり嬉しい。そしていつも、立ち上がった後にある出来事を思い出す。高校時代に毎日の部活で疲れ切っていて、隙さえあればどこでも寝てたあの頃の出来事だ。

久しぶりに練習のない休日に、一人で原宿に行った。安くておしゃれに見える古着が当時大好きで、暇があると原宿に行き、ハンジローやWE GOをはじめとした激安古着屋へ足を運んでいた。

夏休みだったあの日も安い服をたくさん仕入れ、戦利品の入ったショップ袋を2,3個もって帰りの電車に乗った。新宿で中央線に乗り換え、長椅子に座る。次の駅でおばあちゃんが1人、私の前に立った。「おばあちゃんだ」と思うと反射的に席を立ち、「どうぞ」と声をかける。お礼に軽く会釈をし、反対側に移動して吊革につかまった。


しばらくして後ろから、「ここ、空いたわよ」と声が聞こえてきた。さっきのおばあちゃんが隣の席にバッグを置いて、私の方を見ている。そして、「空いたから、座りなさい」と言う。ありがとうございます、とお礼を言って隣に座ると、「さっきはありがとうね」とあちらからもお礼が返ってきた。

そのまま二人は話さなかった……のか。たぶんそうだ。お礼を聞いた直後、私は意識を失うかのように眠りについたらしい。よだれが垂れそうになって目ざめた時には、おばあちゃんの肩にがっつりよりかかっていた。

おばあちゃんは何も言わず前を向いている。すみません、と言って身体を戻すと、「いいから、寄りかかってしっかり寝なさい」と言う。私はそのまま、好意に甘えて肩によりかかり、おばあちゃんの降りる駅まで眠り続けた。

その後のことはもう忘れてしまった。けれど最後に、「ありがとう」と言われたのだけは覚えている。たった1回席を譲っただけで、むしろ私の頭を支えさせてしまい怒られても良いはずなのに、最後までお礼を言ってくれる優しいおばあちゃんだった。

肩を借りて眠った電車の中。窓の外には真っ青な空が広がり、もやっとした蒸し暑そうな日光が車内に入っていた。日の光としっかり効いた冷房の、絶妙なバランス。肩を借りた時の安心感。席を譲ると未だにぼんやりと、その時の気持ちがよみがえってくる。

電車で人に席を譲るのは、私にとって気持ちいい出来事だ。ちょっと立ち上がるだけで、「ありがとう」がもらえるから。そして立ち上がった後、以前借りた肩の寝心地を思い出し、「今はおばあちゃん、どうしているかな」と、おばあちゃんを思うことができるからだ。

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