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少子化で、何が悪い

「少子化にならないために、お子さんやお孫さんに子供を3人以上生むようにお願いしていただきたい」なんて、政治家のお爺さんはなんでそんなこと言えるんだろう、とニュースサイトを見てぼんやりと思った。

なんでだよ、子供を何人もうけるか、なんて自分で決めるよ。近代人権意識はないのかよ。
それに、産みたくたって産める身体なのか、産める経済状況なのかなんてわかんねえよ。こちとらもう何年も生理不順でしんどい思いしてるんだよ。
そもそも子育てと仕事で20歳くらいから未来を不安に思って悩んだりするような国で子育て、勘弁して。まずは未来の明るい社会をすこしでも準備しようとしてくれよ。話はそれからだよ。

色んなことが一瞬で頭をよぎったけど、なにより強く思ったことがある。少子化で、何が悪いんだ、と。

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1990年代以降、日本の少子高齢化が話題にされるようになってもう30年。
出生率は右肩下がり、もうベビーブームはおこらない。日本は世界的に見ても若年層の割合が低い。人口ピラミッドはつぼ形になりゆく。若者で社会保障を支えるのはもう無理だ。その原因は、晩婚化、晩産化、そして女性の社会進出だ、なんて、30年間言われ続けていることだ。

人口動態は予想の外れにくい統計分野だ。内閣府が更新し続けるこのグラフも、移民制度を整えでもしない限りきっとこのまま変わらない。そんなことは今の数少ない小学生でも知っている。

「少子化が進むと、将来の労働力が減ります」
「少子化が進むと、社会保障制度が成り立ちません」
「少子化は加速度的に進みます」
「だから日本の未来はお先まっくら!」
わたしたちはそんな風に言われてきた。

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だけど思う。社会保障制度が成り立たないことも、労働力が足りなくなることも、「少子化は困る!」を明確に説明できる理由ではない。そして、日本の未来が暗いと言われることさえも、「少子化は困る!」の直接的な理由付けにはなり得ない。

社会保障制度が立ちゆかなくなり困る?たしかに一番痛手をうけるのは、現行の社会保障制度における負担者だ。その人たちを救済するような仕組みはさすがに準備されるだろう。
労働力が減少して困る?それはどうだろう。多くの産業でさらなる機械化が進み、受け皿であるサービス業なんかも一部はすでに供給過多だ。生産者だけでなく消費者も減るのだ。うまく統合をすすめればよい。

そう、これらの答えでは、本質的に誰にとって、なんのために、少子化が困るものであるのか、が明示されないのだ。

なぜなら、国家や社会の制度は、人が勝手にデザインしたものだからだ。国家の枠組みそのものも、社会保障制度も、労働市場も、人間が、肥大しすぎたコミュニティを、うまく回してゆくために、勝手に決めて、勝手に縛られているものなのだ。
だから代替がきく。たしかに実務としては、それらの変更は難しい。しかし概念としては、いつでも変更していいものなのだ。もちろん社会保障も、労働市場も、そして、国家というフレームそのものすらも。そもそも、それが揺らぎ続けてきたのが歴史であり、永久に続くシステムや国家なんて、存在していないのだから。

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国家や社会より先にあるものは人間だ。


子供を産むか産まないかなんて、ひとりの人間として決断してよいものには違いない(近代以降の人権意識の通奏低音は、自己の身体の所有権と意思決定権なのだからこれは明白だ)。
そして、ひとりの人間として、みずからの血を分けた存在をこの世に産み落とす決断をする基準なんて、それに照らせば、究極的には「自らの権利の存続」そして「生育環境の保障」くらいではなかろうか。


別に子供がいなくたって、個人は困らない。適度なパートナーとともに老いていくことは可能な時代だ。
もちろん家族を持つのが夢なのであれば、それを叶えればよい。そうでないのならそれなりに、生きていくことも死んでいくこともできる。
あくまで「個人の選好」に拠った時代なのだ。それが価値観として広く浸透するのが、皮肉にも、主権国家制度の中で獲得されてきた近代、そして現代という時代なのだ。

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つらつらと述べたように、わたし自身は、少子化を悪とする理由を見つけられていない。もちろんうっすらとしたデータで学術研究の素地のない個人が感じていることなので、極度に概念的な話になってしまっているのは難点なのだが。

だから、あえて言いたい。少子化で、何が悪い。

少子化対策、あるいは子供をうむようお願いする、なんて言う前に、個人の選択を、ひたすら肯定できるような、そんな個人の集合体でありたい。その結果として国家社会の存続が不可欠なのであれば、存続できるようにデザインしなおせばよいだけなのだ。

少子化は、別に結婚したくない女性のせいでも、LGBTのせいでも、政治家のせいでもない。もし少子化による亡国の危機なのであれば、それを受けいれることは当然に求められることなのだ。

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