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クリスマスはオーナメントをいっしょに

昨日の夜、外に出ると大阪駅はキラキラとイルミネーションが灯っていて、そう言えば11月1日から点灯しますって、何か広告で見たことを思い出す。

阪急の私たちのフロアにも、オーナメントが飾られ、店頭に並びはじめ、福岡のお店にもすでにたくさんのオーナメントがディスプレイされている。

クリスマスまであと2ヶ月をきりましたね。
去年のクリスマスは、何をしていただろう・・と私ははっきりと思い出せないほど、特別な思い出がないような・・(どんな暴露)

Instagramで振り返ると、去年は薬院のお店にいたようで、その前に12月21日に新宿JAMに鶴を観に行っていたことを知る。
もうそんな日が経つのね、早いな。
この1年間の変化に次ぐ変化についてはまた。


クリスマスツリーやオーナメントってなんであんなに可愛らしいのだろう。家にはツリーもないし買う予定も今のところないけれど、とても欲しくなる。昨日はお店でオーナメントを見ていたら、ふいに心がザワザワとして、小さいころのクリスマスを思い出した。


中学生まで住んでいた家にはクリスマスツリーがあった。

高さはどのくらいだったかな、120cm以上はあったのかな。組み立てるタイプのもので、オーナメントもお母さんがきっと好きで集めていたのだろう、いろんなオーナメントがあって、オーナメントだけがたくさん入った箱があった。

幼稚園生のころから小学校低学年のころ、お母さんがツリーを出して、オーナメントを飾った記憶がある。お兄ちゃんや弟もいっしょだったのかな。一番上に飾る金色の星が真っ直ぐに立たないことが嫌だったな、そんなことを覚えてる。

私はその時間が好きだった。

みんなでクリスマスへ向けて、わくわく気持ちを高めることが好きだった。
 

ただ、クリスマスが終わってもなかなか片付けられることのなかったうちのツリーは、お雛様を並べるひなまつり前になると、流石にまずいとお母さんとバタバタと片付けた。

少し大きくなって、小学生高学年になったころ。

うちは小さなころから共働きで、お母さんはお家のことも、仕事も、私たちのことも、とても働きものだった。いま、私も大人になって働きだして、その難しさとすごさを痛感する。

本当によくやっていたよお母さんは。

当時の私は、お母さんが私たちのためにがんばってくれているのはわかっていた。でも、そのすごさは、子ども私には、いまみたく分かりえなかった。私はそんな母を一番近くで見ていた。


私がツリーを出そうよ言うと
「そうだね、ツリー出さなくちゃね!」
そう、お母さんはいつも言う。

その返事はきっとウソじゃない。

けれど、うちにクリスマスツリーはいつの間にか出てこなくなった。


「やらなくちゃいけないって分かっててもできないこと」だったんだろう。あるよね、そう言うこと。ほんとうによくある。

当時はそんなこと分からずに、
私はひっそりと悲しんでいた。



毎年クリスマスイブの日は、みんなでケンタッキーかモスチキンどちらかと、クリスマスケーキをおばあちゃんやおじいちゃん含めて家族みんなでいつも食べていたけれど、きっとどの冬も、私はクリスマスツリーを飾りたかった。

クリスマスツリーを出そう!って、飾りたい!って、あのころの私はもっとちゃんとお母さんに伝えていたのかな。

いや、きっと、子どもながらに気を遣って、
忙しいお母さんを横目に諦めていたんだろうな。

私はわがままにはなれなかった。


昨日オーナメントをお店で見ていたとき、そんな気持ちが、心の奥の奥のほうからザワザワと姿を見せた。

ザワザワはすくい上げて、しっかりと感じてあげないと、これからもザワザワのまま永遠に私の中に残る。しあわせな記憶ではなさそうだったけれど、遠い遠い前のこと、忘れかけていた色んなことを思い出した。

今回現れたザワザワはお母さんとの大切な思い出だった。
いま思うと、ツリーの準備は忙しいお母さんと私がいっしょにできる、私にとってとても大切なイベントのひとつだったのだと思う。


本当は、私はいつも飾りたかったんだよね。

お母さんといっしょに

クリスマスツリーにオーナメントを。



お母さんの本当のところはどうだったのかな。
いつか、それもわかるときがくるかな。


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