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わたしの食生活、母との思い出

まともな話を期待している方、繊細な方は読まないほうが良いかと思います。

今だからこそ書ける、ちょっと重めの話。

小学生の頃


わたしの親はずっと共働きだった。 

母が仕事をやめて専業主婦になったのは、60歳の頃だった気がする。

小1の入学式の翌日から今に至るまで、

ずっとわたしは鍵っ子だ。 


常に誰かが居てくれる、玄関が開きっぱなしの家

世の中にはそんな家庭もあるようだ。

小1からずっと鍵っ子だから、その点は常に緊張感を持っていて、鍵を失くしたことはない。


小3の頃からは帰宅するなりランドセルを放り投げ、千円札を握りしめて、

よくスーパーへ食材を買いに行った。 


ちょうどその頃、母が脳梗塞で倒れて、しばらく入院したのだ。 

当時の母はまだ42歳くらいだった。 


父は仕事からまっすぐ帰ってくる一方で、 

母は仕事帰りに外食や、惣菜を買うことが多く、

脂っこいもの、甘いものをたくさん食べて、よく太っていた。 

はっきり言って肥満だ。


5人姉弟の、上から2番目。

もう田舎は嫌だ、と上京してきた母。

わたしの父から見ると、母の両親はとにかく甘かったらしい。

確かに母方の祖母はよく働き、よく家事も頑張り、常に家族や友人たちのことを気にかけて、

何でもやってくれるようなタイプだった。

そんな祖母は長生きした。

90歳を過ぎて、母より後に老衰で亡くなった。


食育をよく分かっていなかったわたしの母は、

親戚に注意されても開き直った。 

「子どもは適当にあるものを食べていれば育つでしょ。給食もあるんだから」 

本当にそんな勢い。 

父方の伯母(父の姉)と祖父が心配して家に乗り込んできた。 


母は強気すぎて、全く人の話を聞かない。 


当時の父は家では 

たまごかけご飯、味噌汁、適当なおかず程度しか食べなかった。 

流し込むように食べて、急いで仕事へ行ってしまう。 

父が休みの日はチャーハンや目玉焼きなど、簡単な料理を教えてくれた。

「お母さんはやらないからね」と。


離婚の話が出たこともある。 

「わたしはどっちにもつきたくない」 

そう言い放ったら、その話は流れてしまった。



家族揃って顔を合わせて食事、という時間が 

我が家にはほとんど無かった。 

家族揃って旅行に行ったこともない。



「わたしの家はみんなの家とは違うんだ。ごはんは自分でなんとかしなきゃ」 

ひたすら考えた。 


親と妹の分まで簡単な晩ごはんをよく作って、 

小4から始まった「土曜日の部活の弁当」も自分で作った。 


食べることは好きだったし、栄養について気になって、給食委員会にも入った。 

そこで食品を赤、黄、緑のグループに分けることを覚えた。 

わたしは学級委員も何度かやっていた。 

友人たちにはよく驚かれたものだ。



とてもプライドが高く、

わたしにスパルタだった母は 

自分の頭で考えて作りなさい」 

と言って、ほとんど料理をしない人。 


幼稚園の時はフルネームを漢字で書けないと本気で怒った。 

小学生になったら、98点のテストにも怒る。 

甘えるとキレる。

何かと言い訳をして、とにかくごはんは作らない。 

おそらく父に「飯がまずい」と言われていたからだ。

父はとにかく素直でストレートに物を言う。

母を傷つけようが、全く気にしていなかった。

 ずっと母は「料理が苦手な人」だった。


母は計算ドリル、漢字ドリル、書籍を山ほど買ってきた。

読みなさい、やりなさい、と。

あの頃はまるで鬼のようだった。 

きっとストレスが溜まっていたんだと思う。


わたしが小学生の時、商店街の書店で

ひとりで初めて自分で選んで買った本は、

10代の女の子向けのお弁当作りの本。 

イラストと写真がいっぱいだった。 



ひたすら読み込んで参考にして、 

土曜日の部活(吹奏楽部)のために

初めて作った弁当は タマゴサンドだった。


ゆでたまごを細かく潰して、塩コショウとマヨネーズ。 

あとはパンに挟むだけ。

たったそれだけの工程なのに、9歳のわたしには手一杯だった。 

卵をゆでて、きれいに皮をむいて、潰さないといけない。


おかずまで作る時間もなくて、冷凍食品を急いで詰め込んだ。 

正直、親にカラフルな弁当を作ってもらえる友人が羨ましかった。 


どうしてわたしはこんな思いをしなきゃいけないんだろう。

ずっとそう思って、恥ずかしくてみじめな気持ちになった。

何度も本を読んで、作れそうな料理にチャレンジした。


中学、高校の頃


中学に入ってからはお菓子作りにハマった🍮 

プリンもシュークリームも、家で作ったほうがおいしいんじゃないか、と気が付いた。 

作りたてのお菓子は香りがとても良い。


そして勉強に追われ、携帯に夢中で、

栄養のことは全く気にしなくなっていた。 


高校に入って、初めてのバイト先はファーストフード。 

学校では安くてお腹が満たされる、購買の菓子パンをよく買った。 

コスパ優秀なパンの存在がありがたかった。


袋のラーメン、スナック菓子。 

今ではとことん避けているようなものばかりを食べていた。



大人になってから


20歳の冬に風邪を引いて、 

35歳の方から食生活についてかなり強く注意された。 

当時のバイト先、たこ焼き屋のオーナーだ。 

その方は、熱を出してふらふらのわたしを車で家まで送ってくれた後、 

実家暮らしだったわたしの自宅に電話をかけて、

なんと母にも説教をしたのだ。 


(この子はいつもろくなものを食べていない。 

一体、親はどういう育て方をしたんだ?)


どうやらそう思われていたようだ。 

自分の下で働く人間が休憩中に何を食べているか、をよく見ている人だった。

店の売上は良い。いつも長蛇の列。


「娘さんにちゃんとした食事を食べさせてあげて下さい」 

母への電話の内容はそんな感じだ。 

まさか親に電話をするとは思わなかった。 


母からは 

「あの人、人の家庭に口を出すなんて、一体なんなの」 

と言われる始末。



これはまずい。 

自分の食生活を改善しないと、結局わたしは母と同じになる。

人に迷惑もかけてしまう。 もう20歳なのに。



そう反省して、 

書店でテキストを買って、何とか自分で学べそうな資格を取った。

食生活アドバイザー検定2級

暗記すれば何とかなる。

難易度的には簡単だ。

基礎的なことは、ある程度まで学ぶことができる。


わたしはこれを機に、様々な資格にチャレンジしていった。

学校に行かなくても、

多少の基礎知識なら、資格を通じて学ぶことができる

そう確信したのだ。



母は結局、何人もの医師にも、親戚中にも、家族にも止められたのに、 

全く人の話を聞かず、甘いものを食べ続けた結果、

約一年半前、糖尿病の合併症で亡くなった。

2019年、3月19日のことだ。


もう杖がないと歩けなくなっていた母。 

亡くなる一ヶ月前、ついに指先の神経がやられて文字が書けなくなった。

普段からよく文字を書く人だったから、相当なショックを受けていた。

「わたしは大丈夫」

それまで強い自信があったようだ。

現実は、刻一刻と病魔が身体を蝕んでいた。



母が亡くなったのは

わたしがなるべく家に居る時間を増やそう、と

介護のために長年お世話になった会社を辞めて、退職しようとした矢先のことだ。 



「このお母さんじゃ大変でしょう、本当に人の話を聞かない。薬も飲まない」 

医師には呆れられていた。 

「こっちも治す気のない人は診たくないよ。この病院(糖尿病専門)の患者で2番目くらいに酷い。脳に問題があるんじゃないか」 

そこまで言われるほどだった。 



確かに脳梗塞にかかった影響もあったのかもしれない。 

人の話を聞けない、という病気なのか。 

脳のどこかに異常があるのか。


父もわたしもやれる限りのことはやった。 

母はもう駄々をこねる子どものようだった。

おむつも必要だった。


母が骨折をきっかけに糖尿病が悪化して、

半寝たきりになって、家からほとんど出られなくなった約5年間。 


その間、わたしは周りがどんどん嫁いでいく中、付き合っていた人と別れて、結婚を諦めた。 

楽しかったランニングサークルもやめた。 

自分がリーダーだったのだけど。


この状況下じゃ、仕事と家のことで精一杯で、他のことまでは無理だな、

と察したから。 

圧迫されるように毎日息が苦しくて、辛かった。 

周りに余計な心配をかけたくなくて、それを表に出さないように必死だった。


わからなかった、気付かなかった 

と、退職時に職場の方々から言われた。


わたしはできる限り明るく強く、気丈に振る舞っていた。

家のことで周りに余計な心配をかけたくなかった。


そして、長年お世話になった職場を離れた。


最近のわたし


今のわたしは健康に気をつけながら、好きなものを好きなように作っている。


栄養士の専門学校、大学はそれなりに費用がかかる。

その仕事をする訳でもなく、必要な知識だけ身につけるのなら、本屋で何とかならないか。

そう思い、20歳の頃からずっと自分なりに勉強して、 

どうしたら太らないかも分かった。 


一番にタンパク質をきちんと重視すること。 

糖質を摂りすぎないこと。

体重が46kgを超えたことはない。


最近のわたしは節約のためというよりも、

その日に食べたいものを無添加で健康的に食べるため

このために自炊している気がする。


料理はストレス発散になって楽しい。

自分が食材を選んで、自分の好きなように作って、自分が食べるのなら自己責任

何かに縛られたり、誰かのせいにすることもなく、だいぶ自由だ。 


その時々の体調と活動量に合わせて、食べたいものが随時変わるタイプのわたし。 

明日○○食べようかな、と思っても、明日になれば食べたいものが変わるのはよくあること。

だから、まとめ買いがちょっと苦手だ。

コロナの影響で、なるべくまとめるようにはなったけど。

できれば「新鮮なものを必要な分だけ」買って食べたい。


きちんと栄養のある、おいしいものを食べると元気になる。

辛いとき、わたしを元気にしてくれたのは食べ物だ。

食べることが好きな気持ちだけはずっと変わらない😌


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なんだかちょっと重くなりましたが、書き残しておきたくなりました。

それではまた!

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