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多様性ある社会で、わたしたちは何を残して何を捨てるのか

Hola!かおりちゃん、年末年始はいかがお過ごしでした?

かおりちゃんのエントリ(↑)、往復書簡ではなかったけど、わたしも色々思うところあってこうしていまお手紙を書いています。

わたしはジェンダーについて興味があるし、そういう発信もしてるけど、身近な女性たちから過去に「っていうか、差別とかある?」とか「女のほうがトクじゃん?」って言われたことがあって、すごく衝撃を受けたんだよね。

見えてる世界が違うんだ、と思ったし、その構造のなかにどっぷり浸かってると構造自体見えなくなるんだと思った。

政治家が、ある性別、年齢層に偏っていることから生まれる弊害とか目に入らないのかな?とか、

レディースデーみたいに「ちょっとお得」なプランを提供されるより、全体の賃金あげてもらうほうが良くない?とか。

別に、女性だけの話じゃないんだよね。

少し前になるけど、保育園の親子防災教室でこんなことがあったんだ。

親同士が5-10人くらいのグループになって、「災害が起きたら何を持っていくか」話しあって、それを最後に全体の前で発表する、って簡単なワークがあって。各グループに先生がたが1名ついてくださっていたんだけど、最初にこう言われたんだよね。

「最後に発表がありますけれど、このグループはお父さんがたも多いので、もう、お父さんがたにお任せするということでいいですかね?(笑顔)」

その場にいたお母さんがたも、どうぞどうぞって雰囲気になるし、わたしも何も考えずそれに乗っちゃったんだけど、いざ話し合いが始まるとモヤモヤしてきて。

しまった、こうして、何かするとき前に出るのは男性なんだって、子どもに見せることになっちゃう。

って、たぶん思っていたのはその場でわたしだけなんだけど(笑)。しかも、何かをするのは男性ばかりじゃない、って意思表示をしたくて、話し合いの内容を紙に書き留める役を積極的に請け負っちゃったもんだから、後から余計、しまった、と思った。

しまった、これじゃ男性が前に出る役で、女性がサポート役、の図式そのまんまじゃん、と。

最後の発表は、見事に全グループ、お父さんがたが前に出て話をしていて、わたしはその場にいる子どもたちのことが気になって仕方なかった。あー、やばいな、こうやって何も疑問を持たず、いろんなことが刷り込まれていくんだな、と。

先生が場をスムーズに仕切るために、仰ったことはわかる(なので、クレーム入れたいわけではない)。

でも、この話でいくと、男性だってよく考えたらたまったもんじゃないわけよ。「男性」ってだけで、その場にいるとリーダー役とか前に出る役を担わされがちなんだから。こうやって男性は男性で小さな頃から「担わされる」役を繰り返しされてきたんだな、たとえそんな役が苦手でも、常に「本来の正解はこっち」と思わされてきたんだろうな、それはまた大変なことだな、と思った。

と同時に、こうやって女の子は無意識かつ悪気なく、「何かを担う」「前に出る」機会を奪われがちなんだな、と。

男性が無意識のうちに担わされてきた「重み」に耐えきれなくなったとき、電車のなかで泣く子どもに舌打ちしたり、暴力に訴えたり、弱みを見せられないまま自殺に向かうのだろう。

女性が無意識のうちに奪われてきた「何かを担う」「前に出る」機会の延長線上に、政治家やリーダーの多様性のなさ(つまりは女性が少なすぎる)があって、いつまでたっても変わらない社会があるんだろう。

多様性、という意味でも、世界のなかで見ればマイノリティである日本人の日本人らしさがすべて消えてしまうことを、わたしは賛成できない。けれど同時に、変わったほうが素敵じゃない?と思う点も多々あって、その塩梅が難しいな、と思うのでした。

わたしたちはこれから、何を残して何を捨てるのか。少なくとも自分のなかの答えは持っていたいし、そのために問い続ける必要があるんだろうな。

長くなっちゃった。かおりちゃんの意見も、また聞かせてね。

#日記 #エッセイ #手紙 #ジェンダー #往復書簡

Thank you for reading!