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スーパー銭湯考

家族でスーパー銭湯へ行ってきた。我が家の浴槽はとても小さいので広々と手足が伸ばせる銭湯へ行くのは楽しみのひとつだ。そしてここでさまざまな体を見るのも私のひそかな楽しみの一つだ。もちろんマナーとして、凝視したりはしない。きょろきょろしたりもしない。お互いに自然に見たり見られたりする範疇にとどまっている(つもりだ)。

変な言い方をすると人間の標本を見るのが好きという感覚に似ている。プリプリした乳幼児、しなやかな女の子、柔らかさを感じる若い女性そしてたくましい中年女性、皴が寄りゴツゴツとした老女。膨らんだり、緩んだり、萎んだりしていくからだ。

サルが左から右へ向かって歩き、だんだん人間になっていく絵があるけれど、スーパー銭湯で行きかう体をぼーっと眺めていると、あんな感じで時間の経過を思う。刻一刻と変化していく私のからだは今どの辺を歩いているのだろうか、と。

まだおっぱいもおしりも元気よく上を向いていた時、自分のからだが時の流れのどの段階にいるかなんて考えなかった。20代の体だって子供時代から変化し続けてきて辿り着いたものなのに、そこにずーっととどまっていられる気持ちになっていたのはなぜだろう。若さというやつなのか、老いていく自分が想像できなかった。

いまはどちらかというと年上の女性たちを見てしまう。

顔は中年や初老の気配なのに、やたらみずみずしいおっぱいを持っている人がいてつい見惚れてしまった。お手入れであんなにキープできるのだろうか。出産や授乳をされていないからなのかしら、と一瞬その人の来し方に思いをはせてしまう。

それから、初めて見たのだけど温泉の洗い場で杖をついている人。両脇で支える中年女性。よく来ている人たちなのか、歩くのが大変だけどがんばってこられたのか。ゆっくりした動作でお湯にからだをしずめると、3人ともほっとした表情になって楽しそうにおしゃべりをしていた。私も横でついゆったりとした温かい気持ちになる。

裸だからなのか、その人の素の表情がとてもダイレクトに伝わってくる。

「ひどいのよ!あいさつしてもかえさないのよ」

脱衣所で連れの女性に誰かの悪口を言っていた女性。見ず知らずの人なのに、なぜか耳に残ってしまった。カフェのお隣に座っている人の会話ならこうも気にならない気がする。人の振り見て我が振り直せ、だ。


それから外国人の姿も目に付いた。お風呂からお風呂へ移動するとき日本人は前を手ぬぐいで隠し猫背で歩いている人が多いなか、その人は隠さず胸を張って堂々と歩いていた。どこの国の言葉かわからなかったけれど。

あまり混みすぎているスーパー銭湯はすきではない。でもガラガラだったらきっとつまらないだろうなぁと思う。うちは息子なのでもう1,2年したら、家族でスーパー銭湯に行っても私一人で入ることになる。心ゆくまでのんびりと入れるのは楽しみだけれど、一人になったらなったで女性たちの体に物語を探してしまう気がする。

急に気温が下がってお風呂の恋しい季節になった。みなさんもどうぞ心も体もしっかりあたたまって、風邪をひきませんように。



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