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消極的な加害者にならないために No Mas Maltrato

冬に向かう鈍色の空を見上げ、「ジェンダー目線の広告観察」を書こうと思ったのが去年の12月だったと思い出す。同じように寒い曇りの日に近所のスーパーに向かう道すがら、憤りで叫びそうになりながら(理由は色々あるが省く)、手にしたスマホのメッセンジャーで編集者に「私本書くわ」とメッセージを送り、即OKを出した彼女は出版の手筈を整え、完成まで伴走してくれた。「観ることは抵抗であり、闘いです。」という私が発した言葉を本の帯文に選んだのも彼女だった。大仰に響くフレーズだが、気力を振り絞って闘うしかない、という気持ちで書き始めたのは事実である。
幸いなことに、9月の刊行以降さまざまな雑誌や新聞、ウェブメディアから取材を受け、書評を寄せていただいたりもした。取材を受ける中で、執筆の動機や考察の過程などをかいつまんで説明し、何度か繰り返し質問に応える中で改めて動機としての「憤り」の輪郭が明確になる。広告とジェンダー表現を主題として扱ってはいるものの、中核にあるのはコミュニケーションとハラスメントの問題である。本書で言いたかったことを一文で要約するとこうなる。

「ハラスメント耐性がつくと消極的にハラスメントする側になるし、ハラスメント耐性がつくのはスキルではないし、生き延びる術にもならない」

私がこのような見解を持つに至ったのは、20代の頃、大学院に在籍していた時に指導教官からセクハラを受けた経験に由来する。大学側に実名を出して被害を申し出て、博士課程をなんとか修了する形で大学を離れるまでの一連の出来事は私にとってはさまざまな側面で消耗する「闘争」だった。過程の詳細は省く。忘れたことが多いし、トラウマ的経験の記憶は時間の経過の中で薄れるままにしておく方が賢明なのだろう。しかし、今でも心身の奥底で疼く痛みとして思い出されるのは、直接的な加害行為よりも、むしろ傍観者として状況の一端をなんらかの形で知っていたはずの同学の人たち、大学教職員の無関心、問題を問題として認識しようとしない(あるいはできない)、沈黙を貫く態度だ。最も深く傷ついたのは、事情を説明した相手で別の大学に教員として所属する年長の女性が発した「セクハラを躱せるくらいの賢さがないと、これから先仕事が務まらない」という趣旨の言葉だったと思う。男性中心社会で生きる上での女性の処世術を説くことを意図したアドバイスだったのだろうが、当時は「セクハラを躱せなかった」ことを私の根本的な欠陥として指摘されたように感じ、自責の念に苛まれた。私を貶めようとして発せられた言葉ではないのだろうが、私にはハラスメント行為を容認する二次加害だった。

私には ハラスメントを躱すことが どうしても できなかった。

置かれた状況がどのようなものであれ、おそらく似たような趣旨の言葉を投げかけられ、沈黙を強いられてきた人は無数にいるはずだ。1990年代末、2000年代初頭、今思えばバックラッシュの時代だった。ハラスメントを通して被ったダメージの深さを自分で認められるようになったのは40代半ばを過ぎ、更年期の入口と諸々の事情が重なり軽度ではあるが抑鬱状態を経験し、その回復の過程に調査と執筆があったのだと思う。教育・就労・消費など社会生活のあらゆる側面に浸透する「ハラスメント構造」こそが、私を苛んできたことの根底にあると見据え、その構造が視覚文化の中でどのように表れているのかを整理して言語化する必要があり、ハラスメントを原動力として駆動されている消費社会の一端を広告を通して考えるために広告観察を続けていった。

広告観察は、ハラスメントを躱すことができないことを、「空気が読めない」「打たれ強くない」「要領が悪い」と指摘された私が、今この時代に生き延びるための闘い方であり、「表現の中に確実に問題がある」「嫌だ」「間違っている」と表明することで、ハラスメントの連鎖を断ち切るための終わりのない、抵抗的な行為である。そこには、「勝ち」も「強さ」もないし、側から見れば無為で徒労に終わものだろうとも思う。それでもハラスメントを見逃さず、躱さず、無かったことにしない態度を示すことこそが、ハラスメント構造から脱却するための回路を切り拓く方法だと、今でも私は信じている。

本の中で広告業界の状況をめぐる対談をしてくれた笛美さんは、ソーシャルメディアでの発信を通してフェミニズムや政治に関する情報を発信し、広告表現のハラスメント構造の問題を業界の中にいる視点から指摘している。仕事の傍での言論・発信活動は、物理的にも心理的にもおそらくものすごく負荷のかかることだけれども、彼女が勇気を持って地道に発するメッセージは、問題意識を共有し、連帯するためのシグナルとして多くの人の励ましになっている。

11月11日に笛美さんがInstagramでリール動画としてコンプレックスを煽る手法でダイエットを指南する、極めて(暴力的な、と言えるほどに)ハラスメント性の高いインターネット広告の問題点を指摘する投稿は、ハラスメントを躱す、見て見ぬ振りをすることが消極的な加害者になることに等しいと骨身に染みて理解し、広告の仕事に携わってきた職業人としての矜持があってこそのものだ。

大切なことなのでもう一度書いておく。

「ハラスメント耐性がつくと消極的にハラスメントする側になるし、ハラスメント耐性がつくのはスキルではないし、生き延びる術にもならない」

ハラスメント耐性がついた状態になると、自分が何を感じているのかがわからない麻痺状態になる。ハラスメントを受けてモヤモヤとした気持ちを抱いたとしても、それが「あなたの気の持ちよう」に押し留められることに慣れさせられる。被害者の気力を奪い、自責ループの中に閉じ込め、隷属するよりほかはないと思い込ませる、それがハラスメントの本質である。

消極的にハラスメントをする(加害する)側にならないために、その構造を把握した上で離脱する必要があるのだが、組織に帰属してそれを実践することや、組織内の問題を指摘することは大変に難しい。

それでも、自分一人から始められることはあるはずだ。混迷を極める世の中で、大概の人は身動きも取れないし、疲れすぎている。

それでも自分から声をあげ、表現する方法はあるはずだ。

笛美さんがInstagramでリール動画をした同じ日、11月11日に私は北千住のBuOYで開催されていた展覧会NUESTRA JUSTICIAーラテンアメリカと日本のフェミニズム運動とアートを見にいった。闘う糸の会によって企画され、フェミニズムやジェンダー暴力に基づいて、ディアナ・ガルデネイラアンドレア・Z=ロハスがエクアドルの女性たちとともに作り上げた作品を展示していた。

展覧会の中で一際印象に残ったのは、アンドレア・Z=ロハスが女性たちと2011年から行っているプロジェクトCalzones Parlantesである。公衆洗濯場に集まった女性たちと対話を重ね、ジェンダー暴力について作品を作るプロジェクトで、普段は隠されているものとしてのモチーフである下着のパンツには、ビーズやスパンコールが縫いつけられ、ペンでメッセージの言葉が書き込まれている。吊るされた色とりどりのパンツはそれぞれが小さな旗のようでもあり、壁には製作過程の写真が貼られ、それぞれに楽しげに歓談しながら作業に取り組む様子が捉えられていた。

それぞれにメッセージが縫い込まれたパンツの中でも、目を惹いたのが、赤いパンツにビーズでNo Mas Maltrato(No More Abuse/Violence 虐待/暴力を止めろ)、スパンコールで黒い爪の手を模ったものだ。

手にしたスマートフォンで、スペイン語を検索しながらこの文章を読み取った時、自分が持ち続けてきた憤りと闘いの感覚が、赤道直下の国で暮らす女性につながり、遠くから呼びかける連帯のシグナルを受信し、心の奥底を撃たように感じた。

自分から声をあげ、表現する方法はある。
そしてその声はゆっくりと、でも遠くまで届くはずだ。


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