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デプリマの娘

「ハーイ わたしジニーよ」
わたしよりずいぶん年上に見える彼女はそう言って手を差し出した。
彼女は当時わたしが勤めていた家具屋に新しく入った従業員で、その日いくつかある売り場の一つで一緒になった。
平日の暇な時間であった。わたし達は一つしかないデスクのあっちとこっち側に座り、自己紹介をした。
少し背が高くて、肩まで伸びた赤毛はあまり手入れがされていない。全体的に無頓着な人だという印象だった。
わたし達が話を始めてすぐ、その印象は確信へと変わった。始めから垣根をすっ飛ばして語り出したジニーの話がとんでもなかったのだ。
「ダイアンデプリマって知ってる? うちの母なの。カウンターカルチャーの詩人よ。」
ダイアンデプリマは50-60年代、ケルアックやギンズバーグと並んで一世を風靡した詩人だった。サンフランシスコ界隈のヒッピーなら誰でもその名前に聞き覚えがある。
そんな有名人の娘がなぜ今わたしの目の前に座ってペラペラと身の上話をしているのか?
「母がニューヨークからわたし達子供を連れてサンフランシスコに引っ越したのは、当時多くのヒッピー達が目指した禅センターに住むためだったの。母もまた禅に傾倒した1人で、わたしは10歳くらいだったかな、弟はまだ幼かった。」
「鈴木老師には本当に可愛がってもらったの。すばらしい人だった。わたしは禅センターでの生活が楽しいものだったと信じていたの。あの時までは。」
(あの時...?)物語の雲行きが怪しくなってきた。わたしは少し落ち着かない気持ちで次の言葉を待った。
「ある日、ふとフラッシュバックが頭の中をよぎったの。老師のひとりにディビットという人がいたんだけど、幼い私と彼が部屋の中にいた。彼は私をレイプした事が突然蘇ったのよ。」
「何度も思い返してみるとドアの近くに小さな弟がいた。彼はそれを見ていた。でもきっと私の中の防衛本能が長い間記憶を消していたのだと思う。」
わたしは驚いて言葉が出ない。
始めましての後に語られた彼女のストーリーは衝撃すぎた。
「お母さんには言わなかったの?」
「もちろん記憶が蘇ってから母に話したわ。でも母はその事のために何もしなかった。何か行動を起こす事はセンター内では難しかったのだと思う。」
この話はその後もわたしの中で時々思い起こす事になった。
2020年の今、聖職者の性的虐待がニュースに取り上げられるようになり、こういう出来事にやっと光が当たり始めた。
透明な世界を-という祈りは現実になろうとしている。
Twitterでダイアンデプリマの死を知った時、ジニーの声を思い出したのだ。
彼女は今どうしているのだろう。
母の死を悼んでいるのだろうか。

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