千春という名前 

親から自分の名前の由来をきいた時に、もしかしたらつけられていたかもしれない名前ってありますよね。
その名前がつけられていたら、自分の人生は変わっていたのかもしれない。
思春期の頃は、よくそんなことを思っていた。
両親が不仲で、ほぼ毎日夫婦喧嘩。
そんな家で育った私が、両親の名前を一文字ずつとったという名前が「千春」
実際にはつけられなかった名前だが、その名前がつけられてたら、両親仲良くしてたんじゃないかなと今でもふいに思うことがある。
とにかく、私は普通に憧れていた。
「普通」て何?
普通なんて誰かが決めるものではない。
色々経験した今ならわかる。
けど、昔はそうは思わなかった。
毎日、母が怒り狂う姿をみて、怯えて機嫌をうかがっていた小学生時代。
その前の幼少期の優しい父の思い出をすべて消去される、母の父への悪口をきかされる日々。
思春期の頃には、父とは口もきかないようにしないといけない。喧嘩の時には、母に加担しなくてはいけない…そうせざるを得なくなってしまっていた。
中2の夏、私にとって忘れられない事件がおこる。その日も両親さは喧嘩。
反抗期というのもあり、母に加担しないといけないというのもあり、父に罵声を浴びせた。その日は特別、私もひどい言葉を浴びせたのだろう。言った本人ははっきり覚えていない。
そういうもなのだろう。
とにかく、その日は、父がはじめて私の胸ぐらをつかんできた。
私は、「殺すなら殺したらええやろ!」て睨んで言った。
14歳の私は、別に殺されてもいいって本気で思っていた。
そのときの私は、母からは重いぐらいの愛情を感じていたが、父からは愛されているという自信がなかった。
その後、父は自分の部屋に戻り、号泣していた。大人の男性があんなに大声で号泣している姿をみたのは、後にも先にもあの日以来ない。
私も自分が嫌になり、泣き崩れた。
でも、その出来事をさかいに、私はかわりはじめる。
わたしは父にも母にも愛されている
そう思えるようになった。
そう思うと、母の言いなりになることもやめた。勉強はほどほどに、自分の好きなことをしはじた。幼なじみと一緒に、好きなバンドのコンサートに行くのに、田舎から会場までどうやってどの電車にのってたどり着くのか、自分で調べていく。スマホもインターネットもない時代に14歳が自分たちで、田舎から電車で夜のライブにいくことは難しいことだった。
意外と自分のやりたいことを伝えると、父からも母からも、否定はされなくなっていた。
その後、私が働きながら学校にいき始めた19歳に両親は離婚をしたが、今は私はどっちとも仲良くしている。
まあ、今に至るまでは色々と事件はありましたがらそれはまたそのうち少しずつ書きたい時に書きます。
結果として「千春」という名前だったらどうなってかわからないけど、両親から一文字ずつ与えられてるその名前を昔から愛おしく思っている自分がいる。もし、妹がいたらついていた名前かもしれないとか。
だから、このnoteを書くときには迷わず名前を「千春」にしました。
これから、この「千春」さん、自分の感性のままに思ったことや体験したことを綴ります。よろしくお願いします。
#名前 #家族 #母との関係 #父との関係 #14歳 #家族関係 #思春期 #反抗期 #ひとりっ子の悩み

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?