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「逃げ恥」から逃げてきました

前回、夫から勧められて、ドラマが苦手な私が全編観た「逃げ恥」の続編が!?

気になると思って昨夜観たけれど、いろいろやりながらちょこちょこ覗くと刺さる言葉の数々。

グサっとか、モヤモヤとか、切ないとか、夫への感謝とか、感情が溢れ出してしまって、観ていられないんです。

そんな人、私の他にもいないかなぁ(笑)


「逃げ恥」に刺さりまくる

みくりのいう言葉、考えることの数々って、私もすごく考えてきたことでした。

きっとみくりに共感する女性は多かったんじゃないかって思います。

よく捉えているし、それを言語化するのが上手だし、映像でそれが上手に表現されているとも思いました。

また平匡さんは真面目でウブで素直で・・・葛藤している姿は過去の自分とも重なりました。


今回のテーマは出産や育児、そしてコロナ・・・自分が経験してきたこととたくさん重なって、その度に胸が締め付けられてしまう私。

しんどかったよね、私も。

大変だったよね、私も。

いろいろあったよね。

頑張ってきたよ。


目の前で起こること、みくりや平匡さんの反応や言葉に反応しまくって、自分の感情が揺さぶられて、夫にはだいぶ助けられたなぁっていういい感覚も大変だったっていうネガティブな感覚もわかる!っていう共感も、とにかく感情があふれて大洪水。


前回のはまだ恋愛だったから客観的に見られた部分もあったけれど、それでもいちいちキャーキャー反応してしまってやっぱり観ていられなくて。

わかる!っていう部分もわかりすぎて苦しくなってしまったりして。


今回はテーマがテーマだけに、わかる、私だっていろいろ大変だった、っていう感情があふれすぎてダメでした。


うーーん、うまく言葉にできないな…。

これってHSPあるある?

それとも違うの?

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とにかく感情が溢れる私

目の前にいる人の感覚に共鳴し過ぎるというか、自分の似ているところと同化し過ぎるというか、そういうところが私にはあります。

なので、ドラマを観てしまうとあらゆる登場人物のあらゆる感情のひとつひとつに共鳴や同化が起こって、感情が溢れまくって、途中で耐えられなくなってしまうんですよね。

多分、私が今まで生きてきて経験してわかる感覚、

例えば実際に同じ体験をしてつらかった感覚、感動した感覚、ビックリした感覚、やばかった感覚、そういうもの全てに反応してその感覚が呼び起こされてしまうんです。

だからきっとね、全く自分とは関係のない世界ならいいんだと思うんですよね。

すっごーーいお金持ちのおうちに生まれて、バイオリンを習っていて、学校へは送り迎えをしてもらっていて…なんてシーンを見てもフーーンという感じ。

経験したこともないし、特別な感情は抱かないと思います。


でも例えば今回の逃げ恥にあったシーンで、平匡さんが大変な思いをしてトイレットペーパーを買ってきたのに帰ってきたらトイレットペーパーがあったっていうシーン。

大変なときに無理して頑張ったのにアレ、なんだったの?っていう経験をしたときの感情がブワーーーっと溢れてきてしまいます。

そして、次にみくりの泣くシーン。

これはつわりでつらかった時が思い出されて、つらくなりました。

うわーーん、あのときはホントにどうなるかと思ったし、つらかったなぁ…わかってほしくてもこればかりはなってみないと無理だろうなぁ、という当時の想いがブワーーーっと。

(このシーンを見て、夫は私もそうだったねと笑っていました。その余裕いいなぁー。当時は夫も平匡さんのような困惑があったと思うのに。)


ホント、私の脳みそは忙しい。

出てくる役者さんそれぞれの役で少しでも共通項がある人の全てに共鳴してしまいます。

だからとっても疲れるし、心はざわざわ、もやもや。

隣で涼しい顔をしてみている夫がうらやましいです。

隣で感情の渦と戦っている私を見て、

「もっと軽い気持ちで観なよ。」

と夫に言われるのですけど、まだまだ自分には軽い気持ちで客観的に映像を観るというのはハードルが高いというか、それがどんな感覚なのかがよくわからないんですねー。

そういう視点というか、事実との距離感みたいな感覚が得られたら、私はもう少し生きるのが楽になりそうな気がするし、逆に言えば刺激が少なくて単調な生活になるのかな、と思います。

もし私が潜在意識で、単調な生活よりも波のある刺激的な生活がしたいと望んでいたら、客観的な視点が持てたとしてもその視点は使わないんでしょうけど…でもどちらの視点も持てれば選択できますもんね、うん。

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「逃げ恥」はスゴイ

最新の「逃げ恥」は半分も観れていないのに、言えることではないけれど、みくりの心理分析や社会的な視点、今の世の中の問題提起、温かい視点、温かい仲間、全てステキだなぁ、私は好きだなぁと感じています。


ズバッと言い当てているし、問題提起の部分に関してはわかりやすいし、だからこそ刺さるんだと思います。

「逃げ恥」が好きだし、ステキだなぁと思うのに、感情があふれて最後まで観られない…私、こんな経験は初めてかもしれない。

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子育てをするようになってから強まった感受性

私は元々感受性が高かったようなのです。

でもそんなの、自分ではわからなくないですか?

だって自分にとってコレは当たり前だから。

ただ、私らしくいるとなんとなく苦しくなることもあったし、周りの人との温度差って感じていました。

それが何によるもの?なんて、自分ではなかなかわからないものですよね。


私は誰かにこのあふれる想いを聞いてもらうことで、危機を乗り切っていました。

親だったり先生だったり友だちだったり。

でも相手は選びます…選ばないとかえって話すべきじゃなかったと後悔の念で今度は苦しくなってしまうから。


私が苦しいときに話を聞いてくれた方があるとき

「あなたはマジメで感受性が高いからだろうね。」

と教えてくれました。

感受性…ですか。

考えたことなかったなぁーーと新たな視点。


ところが、子育てを始めてからはこの感受性がどんどん高まってしまっているのを感じています。

元々感情が高ぶると泣きやすい私でしたが、子どもが産まれたころはひどかった…。

睡眠不足、自分の時間がない、仕事復帰へのプレッシャー、家事がうまくできない、そんなベースがあった上に、目の前の子どもが思ったように育っていかない=母親の私ダメ?みたいな環境にいたら、全てに敏感にならずにはいられない、みたいな。

子どもかわいいーーなんて余裕なし!

仕事では笑顔大事って意識してるのに、プライベートでは余裕なし!!


以前の記事で紹介した、「ひといちばい敏感な親たち」という本には、感受性の高さは子育てにとって大切なエッセンスであることが書かれていました。

感受性が高いと子どもの気持ちにも気づけ、早いうちに方向修正ができたり、より本質に迫れるから…というように私は解釈しました。

それは確かにそう思います。

感受性が高いことを全てデメリットに感じる必要はないですもんね。

むしろ子育てに関してはプラスがいっぱいであることを本から学び、心が少し楽になりました。

ただ、敏感な親はつらかったり、苦しいことが人よりも増えてしまうことは必須…だからこそ心との付き合い方や捉え方に工夫が必要ということが書かれていました。


また、メンタリストDaiGoさんのHSPについての動画では、HSPと聞くとどうしてもメンタル弱いようなイメージがあるけれど違う、刺激に敏感ということはいいことにも悪いことにも強く反応するということ、と言ってました。

だからこそ環境が大事、とも。

影響されやすいのだから、影響を受ける環境を整えることがとても大事なのだ、と。

つまり嫌な環境に自分を置かないこと、しんどいときは頑張らないこと、なのかな、と。


そんな話に影響を受け、私はもっともっと自分を好きになりたいし、悪影響ばかり受けすぎないような環境づくりや仕組みづくりにも力を入れようと思えました。

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時間をかけて「逃げ恥続編」を観られたらいいな

別に「逃げ恥」を観ることにここまで執着する必要はないのだけれど、ここまで反応してしまうということは、逆に言うと心の引っ掛かり満載のドラマとも言えると思っていて。

心に余裕があるときに、いちばんの理解者であり、全く違う価値観を持ち合わせている夫とゆっくりと観る時間が持てて、いろいろと話ができたらいいなぁーーって思っています。

多分、そういう時間を作ることって大切。

ゆとりのある土曜日の夜に、お酒を飲みながらでもいいな。

うちも似たようなことあったよね、とか

こんなことはしなかったよね、とか

ここに関しては現実はもっとシビアだったよね、とか

私もそう思ってたけど夫はどうだった?とか。


まだまだ私は子どものこととか自分のことをマジメに真に受けてしまうことが多いし、感覚的にドーーンとダメージ受けやすいし、俯瞰して全体を見ることは苦手なのだけれど、

そんな自分をかわいいんじゃん?とか

真剣に生きてるんだよね、とか

気持ちに正直で一直線なんだよね、とか

自分のそのまんまをうんうん、って認めてあげられたらいいなぁーって思います。

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