長男との会話からの独り言
「すっげぇ!」
私はとあるYouTubeの動画に興奮してた。
私よりやや年上の女性で、名前は何となく聞いたことがある、くらいの人。
だけど、視聴者からの質問に対する答えが鋭いというか、どれも刺さる。
私にもこんな視点があったらなぁ、カッコいいなぁ、と思いながら観ていて、思わず口ずさんだ言葉だった。
最近、YouTubeやVoicyを聴きながら料理や片付けをすることが増えた。
ながらでやる方が効率的なことに気づいたから。
夕飯は長男と作ることが多くて、今日はその「すっげぇ!」動画の内容は長男も聞いていた。
そして、ポツリともらした長男の言葉が、私の認識を大きく変えた。
長男「そんなの正論だよ。
わざわざ人に聞くほどのことじゃないよね。」
長男と話すのは楽しい。
なぜなら視点も考えも感覚も、私の持っているものとは全然違うし、なぜそういう理論になるのかがわからないことが多いから。
知らない世界を知るのはワクワクする。
今日も長男の言葉は私に刺さる。
私「正論なの?
私からすると一歩も二歩も先を行く話なんだけどなぁ。」
長男「自分は知らないと思って聞いたらダメだよ。
染まるから。
騙されやすい人の典型だよ。
自分の考えはないわけ?
正論なんか知ったって面白くないんだよ。」
うーーむ。
面白くない、ときたか。
面白いって大事なんだね。
私はつい、スゴイとかよくわかってるなぁとかそういうのに心を動かされちゃうけど。
そんな感想を持ちつつ、私の視点とは違う自分なりの考えをビシッと言ってきた長男に圧倒される。
目の前の175cmを越える息子を眺めながら、ホントに13年前に私のお腹から出てきた子かな?と思うよね。
男の子を育てる醍醐味ってコレなんだろうな。
次男もいい意味で期待を裏切ってくれる。
親の言うことを聞かないで育つとこうなるのかもな、はは。
最近では私が息子たちに育てられる場面も増えた。
次男に
「明日の持ち物は?必要なものある?」
なんて聞こうものなら
「オレのことより自分のことを考えろよ。」
と返され、現に私が翌日の用事を忘れてたということがある。
親にできることは何だろう?なんて考える一方で、親を超える場面にも出会うようになってきた。
私「長男とは選ぶ動画の種類が全然違うんだろうな。
長男は最近好きで観てる動画ってあるの?」
長男「んーー。看板かな。
面白い看板の紹介とかしてるやつ。
看板に対するツッコミが結構面白いんだよね。」
思い出してふふ、と笑いながら話す長男を微笑ましく思いながら、看板?と頭はハテナでいっぱいだった。
夫や長男はとにかくいろんなことを知ってる。
夫と話をしてるときは、やっぱり生きてる年数違うしねって思ったりもしたけど、半分以下の長男にももう差をつけられているように感じるのよね。
どう生きていきたいか、何を大切にしたいかをどれだけ真剣に考えてきたか、の差なのかな。
私はね、学校の勉強のように、教えてもらったそのままを理解して覚えるのは得意な方なんだけど、日常の中から何かを拾ったり感じたり考えたりする中で習得していくのはどうも苦手で。
特に弱いのは統合して考えていく部分なのかな、と思う。
常にとっ散らかってる脳内では、つながってほしいものがなかなかつながっていかないからね。
だからホラ、ここに書く記事も訳わかんない文字の羅列のときと、めちゃくちゃしびれる感じに書けた(自分比)ときとの差が大きいのよね。
私ってさ、いろんなことに興味があって、いろんなことを深めたくて、あちこちフラフラしながら、その時々で必要なことを学ぶようにしてきた結果、私には「コレ!」と言えるような強みも特技もないように思ってて。
でも長男は苦手なことはとことん苦手だからさ、得意な部分はもう私を超えて遥か彼方にいる感じ。
学校に行かない選択をしてさ、自分らしさってこうなんだって言えてさ、カッコいいんだよなぁ。
こんな生き方をする人もいるんだよね。
なんかね、もう想像の域を越えてる長男だから、私には未来のイメージも何もないの。
どうやって生きていくんだろうなぁ。
どんな戦略で世の中を攻略するんだろうか。
私は…といえば、なーんかパッとしない感じよね。
でも本当に叶えたかったことは叶ってるんだ。
あったかい家庭を持ちたかったから。
そんなふうに私は私で生きたいように生きてきたつもりだったんだけどね、長男を見てると私はまだまだ覚悟が足りないなって思っちゃうのよね。
何かを貫こうとしたら、何かは手放さなきゃならない。
長男は大切にしたいものを守りたいから、学校に行くことをやめたり、人との関わりも最低限にとどめてる。
それができるってすごいこと。
私はどれも手放せなくて、どれも大切にしたくて、結局はいろんなことが中途半端なんじゃないかな。
これからの私はもう少しメリハリつけたいし、大切なものをより大切にしたいと思うのだけど、なかなか手放せなくてね。
難しいよね。
そもそもあまりキャパを持たないのに、がめつくいろんなものを手に入れようとしすぎてパンクしちゃってるんだもんね。
みんなができることをそれなりにできるようにやらなくちゃ、という想いも抜けないしね。
こうやって言葉にしてみると、私の能力で社会に適応するための最善策だったのかな、という気もしてくるけど。
せっかくクリアになった頭も、長男の言葉ひとつでいろいろと渦巻いてしまう。
それくらいに今の私は軸がなくて、揺れ動いてる。
こうしたい!と思って、自分ノートに頑張って書いた言葉たちも色褪せてしまう。
そんな折にInstagramをのぞいたら、私が大事だ!と思っている股関節を「股関節を〇〇したら最強だ!」なんて、すでにカタチにしてる人が何人もいる。
コアの大切さを伝えたいと活動されてる人だってそう。
わかりやすい表現で、読者の心をつかんでる。
だよね。
みんな試行錯誤して、学んで、行動して、チャンスをモノにしてるんだよね。
私も誰かのために一生懸命になる前に、自分のために一生懸命になってみたらいいのに。
そう思って、手帳に自分のためにやりたいことをたくさん書き出してみる。
そして、眺めてからため息よ。
どれもそんなにやりたいことじゃないんだよね。
例えばお金を稼ぐ人は、お金に興味がある人で。
私はお金じゃないのよ、やっぱり人との関わりの中でジワーンと人の良さを感じてたい。
だから生活のためにはお金が欲しいって思うけど、やりがいにこだわってしまうんだろうなぁ。
稼ぐことだけに一生懸命にはなれない。
私は、今は人の心を動かせるような人間になりたくて、心が動くことに興味があるんだもん。
「そんなだからだまされるんだよ。」
と笑う長男の心だって動かしたいのよね。
そんな私だから、今の私なんだろうなぁ。
正論でも人の心を動かせる人と動かせない人がいるじゃん。
私が話すと、そんなの知ってるよって思ってたことがキラキラと宝物のように感じられる、みたいな感覚を与えてみたいとかさ。
考えたりはしてるんだよ。
ま、そう思っていたら、少しずつできるようになるかもしれないね。
仕事でも、そういうことばっかり考えながら人と関わってる気がするしね。
夫が帰ってこないから、つい何でもないことブツブツと言葉にしちゃったよ。
こんなふうにして、私らしさをもっと自分でジワーンと感じられるようにしていきたいな。
何者かにならなきゃって頑張ってきたけど、これが私らしさじゃんって納得して、これからはこんなふうに生きていきたいなって等身大を目指したい。
なんて思ってるだけじゃ何にも変わらないから、明日は雑誌の企画に参加してくるよ。
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