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文学フリマ東京を覗いてみた

5月29日、第三十四回 文学フリマ東京へ行ってきた。
文フリのことは知っていたが、実際に行ったのは初めてだった。

前回も行こうかなと頭を過ったのだが、コロナで引き籠り生活に馴れてしまったせいか、東京まで行く気力も体力もなかった。
それに参加者に知り合いがいなかったし、一緒に行ってくれそうな人もいなかった。
加えて、若い頃に一度だけ行ったビッグサイトのコミケの記憶もあり、「もう年齢的にあの混雑には耐えられん…」という気持ちもあった。

今回は坊っちゃん文学賞を通して知り合った作家・霜月透子さんが参加されるとのことで、事前に「文フリってどんな感じですか?」と訊いてみた。
「文化祭みたいで楽しいですよ」と仰っていたので、そうか文化祭かぁ文化祭はいいよねぇ文化祭なら私も行けるかもなぁと、重い腰を上げてみることにした。

当日、会場に入るまでは緊張したが、一周、二周するうちには雰囲気に馴染むことができた。
ひとりで来ている人、子供連れの人、年齢層も幅広くて、本当に文化祭のような雰囲気だった。

今回は予想以上の大盛況だったようで、会場内はつねに結構な混雑状況だったが、なんとなく穏やかな空気感というか、知らない者同士でも気遣う感じがあって、混み具合の割にはあまりストレスを感じなかった。

事前にWebカタログで気になる本や作家さんに目星をつけていたのだが、会場では挨拶したかった作家さん、欲しかった本はだいたい手に入れられた。
ビギナー&小心者の私にしては上出来ではないだろうか。満足、満足。

やはりファンタジーやSF、ショートショートの本を中心に買ってしまったが、いま考えれば、全然知らない分野の本も直感で手を出してみれば良かったなと思う。本当に様々なジャンルが集まっていたので。
でもまぁすっかり財布の紐が緩んでる自分に気づいて、途中でハッと我に返ったよね。

外で本を読めない性質なので、帰宅し、就寝間際になってから本を開いた。

なぜなのか不思議なのだが、今まで読んでいた作家さんでも、個人の紙の本(しかも縦書き)だと、こちらの受け取る感覚が全然違うことに気づく。
本の拵えに作家さん自身の雰囲気が感じられるからだろうか。
それに手で触れて包むからだろうか、作家と一対一で向き合うような感覚になる。
今までは他者の物語に伴走しているような感覚で読んでいたものが、紙の本ではその世界を自分事として呑み込まざるを得なくなるような、そんな感覚。
ああ私は本を手で読んでいるのだな。
視覚だけではなくて触覚も使って読んでいるのだな。
ということに、あらためて気づかせてもらった。

それをこのnoteに(しかも横書きで)書くのもどうかと思うけれども。

そういうわけで、あらためて、
紙の本、物体としての書籍っていいよね。
などとぼんやり考えながら眠りについた。
穏やかな熱気に触れた、良き1日だった。






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