芸術とか女についてとか潜在意識とか│大好きな本&考えた事
私にとって人生のバイブル、というか
さながら「私の取り扱い説明書」みたいな立ち位置を誇る、大好きな御本があります♡
お医者様でありながら芸術、哲学、宗教、伝統芸能をはじめとする文化の諸事情に精通し、医療や自然科学から近年のヒットカルチャーまで縦横無尽に渡り歩く、しなやかで感性豊かな知の巨人、とも言うべきお方、でしょうか。
好きすぎて講演会なども訪れています。ラブ♡
先週ひたすらこの御本を読みふけり、あれこれ考えたことをまとめます。
自分の為のめも、です。
■ 芸術に惹かれるのはなぜ?
この本を読んでいると、ああ……まさしくそうなの!と首を縦に振らずにはいられない箇所がたくさんあります。
ありますよね、こういう体験。
私にとって、それは「芸術」との出会いでした。
初めてひとりで美術館に行ったのは中学生の時。
それ以降、私の人生に芸術は「必要なもの」として時に縋るように、文字通り支えられ生きてきた。
ただ、アートに触れるのは五感をフル活用する純粋に楽しい行為だけれど、それを抜きにしても、「絶対的な何か」が私の中に残る。そんな確信がありました。それは何?そして、なぜ?
その答えは、本を読み進めた先にありました。
昔からバランスをとるのが下手だった私。
小さい頃はひたすらお絵描きしたり折り紙したり、夢想にふけったり…幾らでも一人遊びができる子どもでした。内なる世界の支配が圧倒的で、外部とのコミュニケーションはとても苦手な子。控えめに言っても"グループ決め"で余るような超コミュ障でした。(基本的に人が怖かった)
そんな私にとって、どうにか「外」と「内」とのバランスを保つ(保とうとする)媒体となっていたのが芸術なのだと、本を読んで深~く納得したのでした。
■ 自分の中にある水源を
さて、そんなバランスの取れない私ですが、
自分の中で”調子がいい/悪い”の基準、それは自分自身と繋がれているか?だったりします。
本の中にはこんな記述が。
外側の世界をかたちづくることに躍起になりがち(SNSはじめ)な今だからこそ、「自分自身の内側」を見つめることがとても大切だと説かれています。
人というのは基本的に、その本質とも言うべきものって、そうそう変わらない生き物。
小さい頃、自分の内側ばかりに意識を向けて楽しめていた人間(=私)の初期設定も、未だにそんなに変わらない。
常に、自分の中を脈々と何かが流れ、時に溢れている私ですが、それらとスムーズに手を取れているときは、絶対的に「調子がいいな」と思える。
特に「女について」のトピックというかイメージは、長年蓄積されてもはや一括りにできない重量感を私の中に示していて。
時に美しく、時にバケモノのような存在として、自分の中に巣食っています。我ながらおそろしい。
そして次のような言葉も。
「水源を探り当て、水路を整えていく営み」が、
「自分自身を創造するプロセス」になる!!!!
自分自身を創造!!!!
これだよ!!!!!
私が必要としていたのは!!!
外と内との平衡感覚に乏しく、それでいて自分の中に満ち満ちるイメージを常に抱え続ける私に、なによりも必要なもの…
必要以上のお金でもなく
際限のない贅沢でもなく、
自分自身の「水源」をきちんと理解し、悠々と流れゆくための「水路」を確保し続けてあげること…。そんな取り組みを人生にきちんと組み入れてあげること…。
嗚呼、なんだかこの先も生きていける気がしてきた。
■ 「内なるイメージ」を中心に生きることにした
”自分の内側のイメージを中心に据えて生きていくこと。”
言うは易しで、そんなに簡単なことではないかもしれません。
外の世界は、いつだって喧しく、私たちを誘うことに長けている。
でも、
稲葉さんの指摘する「意識の表層で知的に操作してつくられた」ものって、所詮、自分の中の「水路」を整える営みにはなり得ないから。
「自分自身の内側の深みから泉のように沸いてくるイメージの世界」こそが、自分を知るための宝の在り処。
そこにしっかりとアクセスするには、潜在意識に耳を傾けてあげられるだけの余白や静けさが、自分の中に必要です。
なんだか書き出してみると
自分との永遠なる戦いになりそうですが(笑)、
藤崎みき、がんばってこの人生を生き抜きたいと思います。
敵はいつだって、外ではなく自分の中に
ですもんね。♡
長文お読みくださった方、いらっしゃいましたら本当にありがとうございます。
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