食農分野におけるデジタルを融合したバイオ産業戦略及びルール形成戦略の重要性 ~日本企業が技術はあるのに世界で勝てない状況からの脱却~

https://www.nttdata-strategy.com/pub/infofuture/backnumbers/59/report09.html

はじめに
 日本では、バイオエコノミーという言葉はほとんど認知されていないが、欧米では、2009年にOECDがバイオエコノミーの概念を提唱して以降、第5次産業革命とも言うべき新たな社会変革を生み出す可能性があるとされ、各国が覇権争いを繰り広げている。

 バイオエコノミーは、バイオテクノロジーが経済に大きく貢献できる市場(農業・産業・医療)とされ、ドイツ、フランス、アメリカなどの先進国だけではなく、南アフリカやタイ、インドなども戦略を公表し、アクションプランを実行している。

 今秋、EUはバイオエコノミー戦略2・0を発表する予定となっており、新たな戦略では、SDGsを上位目標とし、SDGを達成する手段としてバイオエコノミーの活用が提唱される予定である。一方、日本は2019年夏に戦略公表予定となっており、世界の動きに対して大幅な遅れを取っている。

 本稿では、食農分野において「バイオ×デジタル」の融合により創出される新たな産業、食文化にもたらされる変化、健康維持・管理方法に関して概説する。

1 バイオエコノミーとは
 バイオエコノミーとは、生物資源やバイオテクノロジーを活用して、気候変動や食料問題といった地球規模の課題を解決することにより、持続可能な社会と経済成長の両立を目指す概念である。

 OECDは、2009年にバイオテクノロジーが経済に大きく貢献できる市場として ”バイオエコノミー “ の概念を提唱し、2030年までに世界のバイオ産業市場はGDPの2・7%(約1・6兆ドル)に拡大すると予測している※1。

 バイオテクノロジーは以前より取り組まれていたが、近年バイオエコノミーが提唱された背景としては、ゲノム解析技術や合成生物学、ICT/IoT・AI技術などが急速に進展したことに起因される。

 影響を受ける産業としては、主に工業(39%)、農業(36%)、健康(25%)の3分野とされており、日本では、バイオテクノロジーにより、2030年に市場約40兆円、GDP約20兆円、雇用80万人の市場が創出されると推計されている※2。

 欧米では戦略策定と同時にルール形成に取り組んでおり、同じ商品であってもバイオエコノミーを考慮した製品とそれ以外との差別化を図るため、バイオエコノミー関連の規制や認証制度構築などスタンダード化を進めている。

バイオマス研究の第一人者である東京大学の五十嵐圭日子准教授は、”バイオエコノミー認証に沿っているものに付加価値がつき、品質の良さを凌駕するという「ゲームチェンジ」が起こる可能性がある “と警笛を鳴らしている※3。

2 日本での取り組み状況
 バイオエコノミー戦略は、欧米を中心とした世界各国で、気候変動や食糧問題などを含めた社会的な課題解決と産業振興を同時に達成できる概念として策定済みで、重点的な取り組みが開始されている。

 先進国だけではなく、インド、南アフリカ、タイなどの新興国も公表しているなか、日本はまだ策定できておらず、健康・医療戦略の改定を踏まえ、2019年夏に戦略を公表予定としている。日本はバイオエコノミーに対する取り組みに関して、他の先進国よりも10年遅れている状況である。

 日本のバイオエコノミー戦略は、バイオとデジタルの融合により国内の農林水産業、工業、健康・医療分野が抱える課題の解決と持続的な経済成長、さらにはSociety 5.0の実現及びSDGs目標の達成を目指しており、主に図2に記載の4つを設定している。

3 農分野におけるバイオテクノロジーの活用
 食農分野におけるバイオテクノロジーの活用としては、環境負荷低減及び世界的な食料危機への対応策として、品種改良、遺伝子組み換え(害虫抵抗性や耐病性、長期保存性等)、培養などの研究開発が進められている。

 デジタルデータやバイオテクノロジー等を活用したスマート育種により、機能成分を多く含む品種や害虫抵抗性農作物の栽培、超多収品種・高温耐性品種の開発など、高付加価値化による農業者の所得向上だけではなく、世界的な気候変動対策・食料安定供給に資する品種・栽培技術の開発が進められている。

 例えば、害虫抵抗性農作物の栽培では、20年間で化学農薬使用量を37%減少、病害を予防することができれば世界飢餓人口約8億人分の食物の確保に繋がるとされている※4。

 また、細胞農業(Cellular Agriculture)分野の研究も国内外で進められている。その一環として、バイオテクノロジーを使用して、牛などの筋肉細胞を人工的に培養する培養肉の研究開発が進められている。人工培養肉は、理論的には牛の筋肉細胞数個から1万t以上の牛肉が生成できるため環境負荷が小さく、世界で高まる食肉需要に応える次世代の食材として期待されている。

4 デジタルデータの活用による「食のヘルスケア産業」の創出
 日本政府は、2018年6月15日に閣議決定した「総合イノベーション戦略」において、農業、工業及び健康・医療分野でバイオエコノミーを新たな市場として創出し、持続可能な環境・社会の実現、健康長寿社会の形成を図ることを掲げている※5。

 農林水産物・食品分野では、バイオテクノロジー及びデジタルデータを活用することにより、個人の生活習慣等に応じた食生活や食事の提案・提供を可能にし、生活習慣病リスクの低減と健康寿命の延伸を促進するなど、超高齢化社会も想定した、食による健康増進に関する取り組みを推進している。

 機能性農林水産物・食品の開発は日米欧ともに高い水準を有しており、中国においても保健食品等の開発が急速に進んでいる。その中でも日本は世界に先駆け、食品の機能性表示制度を導入しており、世界で唯一、生鮮食品も表示対象としている。

 一方、食による健康維持・増進効果に関する科学的エビデンスの蓄積は、欧州が先行している状況である。他国よりも先に超高齢者化社会を迎えている課題先進国の日本において、健康・長寿、ヘルシーな日本食は世界に誇る強みである。この強みを活かし、「食のヘルスケア産業」を創出するためにも、健康維持・増進効果に関する科学的なエビデンスの蓄積が急務である。

 また、バイオテクノロジーを利用した農作物の開発だけではなく、個人の健康状態や生活習慣に応じて、健康の維持・増進を図るための食生活デザインまでを含めた総合的な取り組みが必須である。

 総合的な取り組みを推進するためには、生体の持つ個体差と生体レベルで機能性が発現するメカニズムの解析が必要だが、解析コストを低減するためにヒトにおける機能性の予測・実証プロセスの効率化が不可欠となる。

 プロセスの効率化には、食品データ(食品素材からの成分予測、食品成分データ、機能データ等)及び整体データ(薬物動態モデル情報、マイクロバイオーム等)が必須であるため、バイオ産業の推進にはデジタルとの融合が不可欠である。

 デジタルデータの蓄積及び日本の技術的な強みを活かし、「食・農×バイオ×デジタル×医療」により個人の食をデザインすることで、食のヘルスケア産業における消費者価値の最大化と経済活動の活性化の両立を目指している。

 今後は、一人ひとりの要望や健康状態に合わせた食事が提供される時代となるだろう。

5 今後日本において求められること
 バイオエコノミー戦略に10年出遅れた日本。各企業の技術開発だけでは遅れを挽回することは難しい。日本の技術が世界の戦略の中で認められるよう、官民が連携し、日本主導でこうした世界の規制・規格を整備し、ルールを形成していく必要がある。

 EUでは、海洋プラスチックなどの環境問題と資源制約を背景に、SDGsを上位目標として、バイオエコノミーを含むサーキュラー・エコノミーの実現を経済成長戦略のひとつとして位置づけ、持続可能性や地球規模の課題に対応しつつイノベーションを実現するための新たな枠組みと制度の検討を進めている。

 今年1月にEUが公表した ”プラスチック戦略 “も、バイオエコノミー戦略と社会課題を起点とするルール形成である。ルール形成は、製品のデザイン・生産・使用・再生利用の大きな方向転換をもたらす。いくら日本の技術が優れていても、EUが構築するルールに当てはまらなければ普及させることはできない。

 日本では、こうした世界の動きに対して出遅れている状況ではあるが、環境汚染問題やバイオテクノロジーに対して大きなアドバンテージとなる技術がある。関連規制や規格が整備されることを待つのではなく、日本の技術が世界の戦略の中で適用されるよう、日本主導で国際的なルールを形成し、規制・規格を整備していく必要がある。

 2014年に、経産省はルール形成戦略※6を設立している。 ”日本企業が技術はあるのに世界で勝てない “という現状から脱却するためには、官民が一緒となり、技術革新とルール形成戦略の両面から取り組む体制整備を構築することが急務である。

 日本は化石燃料資源が乏しい国だが、化石燃料に代わる技術と自然資源を持っている。不足しているのは、世界市場で日本の技術が勝つルール形成戦略だけである。

※1 The Bioeconomy to 2030,
https://www.oecd.org/futures/long-termtechnologicalsocietalchallenges/42837897.pdf
※2 科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術・イノベーション会議有識者議員との会合(平成29年度),内閣府提出資料
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20171012/siryo1.pdf
※3 東京大学 准教授 五十嵐圭日子, バイオエコノミーに寄るゲームチェンジを私達はどう受けるか
※4 産業構造審議会商務流通情報分科会バイオ小委員会,資料3,
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/bio/pdf/008_03_00.pdf
※5 内閣府, 総合イノベーション戦略,
http://www8.cao.go.jp/cstp/stmain.html
※6 経産省,
http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade/rules.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?