見出し画像

こじらせ女と天使のやりとり【Avrò cura di te 】と優しさ

過ぎ去ったことをあれこれ振り返るのは、感情的に「むち打ち」になってる老人の病だ。

老いた人ならかまわない。未来へつなぐ行動を選択したいなら、36歳で90歳みたいな在り方ではだめだよ。

うまくかみ合わなくなった夫婦関係とその周りの出来事について、ひとりの女性が守護天使と言葉を交わす。そのやりとりがそのまま物語になっている。

筆者は2人のイタリア人。
(Massimo Gramellini e Chiara Gamberale)

詳細は知らないけれど、おそらく辻仁成さんと江國香織さんの「冷静と情熱のあいだ」のように創作されたのだろう。

どうして私はこんなに苦しんでいるのに、あの人はさっさと若い女を家に連れ込んでるの?

何度メッセージを送っても答えてくれないのはなぜ?

人間としての人生も経験したことのある天使が辛抱強く彼女とやりとりを展開する。私の背中に翼は生えていないけれど、Filèmoneと名乗る天使のセリフと思考が重なる。

ずっとずっと昔の幼い恋愛でもがいていた自分自身とやりとりをしたら、こんな風になるのかもしれない。

うまくいかない人間関係に右往左往する経験は、渦中にいるときはしんどいけれども貴重な体験。そういう七面倒臭いことを身体をはって乗り越えた人は優しく強くなれる。

優しい、という言葉はトリッキー。

相手の気持ちを汲み取って、先回りしてあれこれやってあげたり、至れり尽くせりのケアが出来る人間を「優しい」と形容しがちだけど、それとは違うタイプの優しさもある。

なにもしないで、ただ見守る優しさ。

これを実行するには「手を出さない」強さが必要。もどかしくても、ただ見守る。たいていの親がなかなかクリアできないハードルがここにある。

カップルや友達同士でも「ただ見守る」ことができずにバランスを崩すことが頻繁に発生する。誰かになにかをやってもらうことに慣れてしまっていると、それが突然無くなったときに戸惑い、悩み、苦しむ。

身体が育っても精神が赤ん坊のままの人間は、ベビーシッターがいなくなると途方にくれて泣きわめく。下手をすれば離れていったベビーシッターが悪い!と自分の幼さを棚にあげて逆恨みする。

この物語の主人公は、やや赤ん坊体質。「教師」を職業としている彼女。

こんな精神状態の私が生徒に恋愛アドバイスなんてできるかしら?

そんな葛藤を素直に天使に打ち明ける。

無理だね。でも相手は君の事情を知らないよ。

そうなんだよね。相談した相手が別に抱えている問題がある…っていうのはよくあること。実際に悩みの半分以上は言葉にして出すことで解決している。というのも「なにがなんだかわからない」状態がいちばん人として困るから。

人間関係にしても
人生の選択にしても

なにをどうしたいのか

それがハッキリすれば糸口はすぐそこ。もつれた糸を解くことも、切り捨てることできる。見ないふりをして見えない場所に押し込むこともできる。

それを決めるのは本人。

相談相手が実は私生活で、大きな課題を抱えていたとしても、そこに関与しない相談者が自分の悩みを言葉にできただけでよかった、ということが多々ありえる。

本の効能も人間の「ただ見守る優しさ」に似ている。

ただ言葉がそこにある。

それを拾うのは読者。本は本文以上の説明をしてくれない。解釈をするのは読者。質問しても直接答えてくれない。答えは読者が見つける。

リサイクルショップでふと手に取った本。「赤い靴」と「白い羽根」は私にとって旅立ちと応援のシンボル。その2つがカバーデザインに使われている。本を同伴帰宅するときの決め手はカバーデザインと字面。第一印象と中身のエネルギー状態を確認する。

小難しい単語や複雑な情景描写がない会話、というより手紙のやりとりのような文章はとっつきやすかった。

復活祭(イースター)の夕焼けのひかりを浴びながら、世の中の人間関係のあれこれに悩む人々に心の平穏が訪れることを祈りつつ。


シンプルで素敵な飾り罫線はこちらから🎶
いろいろ使いたいがために
お似合いの記事を書きたくなるくらい好き(笑)

この記事が参加している募集

読書感想文

Grazie 🎶