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滑りやすい坂に気をつけて!

最近、認知バイアスについて勉強している。

認知バイアス(cognitive bias)とは
偏見や先入観、固執断定や歪んだデータ、一方的な思い込みや誤解などを幅広く指す言葉

引用:情報文化研究所 情報を正しく選択するための認知バイアス事典(フォレスト出版株式会社、2021年)

コミュニケーションのすれ違いの中には、互いの前提の違いや思い込みなど、本来きちんと整理できていれば起きなかったものもある。
文面の癖の違いで、LINEを送った側は怒っていないのに、受け取った側が相手は怒っていると勘違いするような。
認知バイアスを学べば、そのような悲劇を避けられるのではないかと興味を持ち、関連する本を読んでいる。

その中に「滑りやすい坂論法」という認知バイアスがあった。

滑りやすい坂論法とは
比較的小さな最初のステップが、その後の起こるべきではない結果に導く一連の出来事を不可避的に引き起こしてしまうので、その最初のステップを起こさないようにしなければならないと主張すること。

引用:情報文化研究所 情報を正しく選択するための認知バイアス事典(フォレスト出版株式会社、2021年)

例えば、

①単位を取らないと大学を卒業できない

②大学を卒業しないと給料の良い仕事に就けない

③給料の良い仕事に就けないと幸せになれない

④単位を取らないと幸せになれない

という主張があるとする。

①は大学の卒業には単位が必要なので、事実である。
しかし、②以降は、もしかしたらその傾向があるかもしれないくらいで事実ではない
世の中には、大卒でなくとも平均よりも給料の良い仕事をしている人はいる。
給料が少なくとも、限られた中でやりくりしお金の豊さ以外から幸せを見出している人もいるだろう。

正しい因果関係のある文から、滑りやすい坂を転げ落ちるように曖昧な因果関係の推論を繰り返し、事実ではない答えを突きつけてしまうのがこの論法だ。

私はこの「滑りやすい坂論法」を知った時、穴を掘って隠れたい気持ちになった。

なぜなら、仕事において人に何か意見するときによく使ってしまうからだ。

「AしたからBになってCが起きたんですよ。Aをすべきでなかったんです」
「こうなったのは、Aがあったから。Aを起こさなければ、Bになって、そこからCになるなんてことなかったはず」

昨年終わり頃から今年にかけて、特にそのような意見を人にぶつけることが多かった。
自分の中ではその推論が正しいと思っていて、決して騙したり、自分の意見を通しやすくするために作ったものではないのだが。

しかし、正しいと信じるゆえ、結構きつい言い方をしてしまうことが多かった。100%自分の推論が合っていると思って話してしまったり、なぜ相手は気づかないのかという苛立ちがこもってしまうこともあった。
自分がどれだけ正しいと思っていても、当たっている可能性が高いとしても、100%ではない、”事実”とは言えないのに。

だから本来、違う見解の人も、同じ発想が頭の中になかった人がいても当たり前なのである。
それだけでなく、自分の推測と違う結果を生んだり、誤解してしまい、申し訳ない気持ちになったこともある。

「滑りやすい坂論法」を知った時、自分の視野の狭さをまざまざと突きつけられた気がして、本当に恥ずかしくなった。
また滑りやすい坂の上に立ってしまったら、自分の推測も”その限りではない”と肝に銘じて、一歩一歩ゆっくり相手と共に下れるようにしたい。

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