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反対意見で議論を交わせるフランス人と、人格否定されたと思い込む日本人

先日の朝、いつものカフェでいつものようにお茶をしていると、フランス人の店主とお客さん合計3人で、昨今のパリオリンピックに伴うパリ市内の道路工事についての話が始まった。

カフェの前の広場がただ今工事中で、もう100年以上その広場に置かれていたであろうデコボコではあるが趣のある古い石畳が取り除かれ始め、その代わりに真新しい大きな石が次々と置かれていくのを目の当たりにしたからだ。

カフェの店主は、道路工事にとても否定的だ。まあ、営業中に行われている工事が仕事の妨げになっているせいから余計にそう思うのかもしれないが、パリ市は道路工事よりも、地下鉄駅の整備など、もっと優先してやるべきことは別のところにあると考えている。

更に、このパリの歴史的な石畳を全て取り去って、新しい石畳に変えてしまうのはどうなのかとも思っている。そして、お客のひとりがそれに相槌を打っていた。

しかし、もうひとりの客が、突然その会話に割り込んでくる形で反対意見を述べ始めた。店主の言うことはもっともだが、でも今、パリ市がオリンピックのためにやっている道路工事は、例えば2030年あたりの近い将来のためにもなっていることで、それが決して悪い方向に向いていないし、彼はそれをポジティブに捉えているといったような内容だった。

否定的な意見が出たからといって、会話中のカフェの空気が悪く変わることは全くなかった。むしろどのような工事を優先すればパリのオリンピックや将来が明るくなるのか、みんなで真剣に討論した。

コーヒーを飲み終えたその客は、その後、笑顔でカフェを退店するのだが、その時の店主ともうひとりの客は、反対意見を述べられたからといって特に機嫌を損ねることもなく、何事もなかったように「またね!」とその客に挨拶をしていた。

このあと、この客が再びカフェに戻ってきたか、そして店主とどのような会話を交わしているのか知る由もないが、フランス人は大抵、反対意見を交わしたことを特に根に持つことはなく、次の日にはびっくりするくらいけろっと忘れてしまっている。

これが、もし日本人同士の会話で仮に反対意見が交わされたものであったら、果たして同じような展開になるだろうか。

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