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官能小説を訳す

欧州の翻訳会社から「女性向け官能短編を訳しませんか?」と言われたとき、即座に「絶対やる!」と思いました。トライアル合格の数日後に最初のバッチ6作品の翻訳に取り掛かったのですが、たしか2週間ほどで完訳するスケジュールだったと思います。

分量自体はそれほどキツいわけではなかったのですが、なんせ文章のスタイルに気をつけなくてはいけない翻訳ゆえ、作業開始当日はネットで「官能小説で使う言葉と表現」に関する情報を読み漁り、自腹でハーレクイン・ロマンスを2作品購入して夕方から一気に読みました。

購入した作品はその時点での最新一番人気作品と往年の一番人気作品。ハーレクインにした理由は舞台設定が海外という点。ぶっちゃけ、一番知りたいのは登場人物たちが交わるsteamyな場面の表現方法で、全体の話の流れなんぞ大して関係ありませんでした(笑)。

なによりも、男性向け官能小説とは異なる表現方法を採用しているジャンルなので、そのキツい縛りが逆に面白く、自分の表現力の限界を超える貴重なチャレンジに心が踊りました。

その頃、毎日お仕事を受注していたWEB雑誌の女性編集者にこのことを伝えたら「きゃー、仕事しながら女性ホルモン出まくりですね〜♪」と言われ、「ああ、そういう考え方もあるのか」とハッとしました。そして「読者の性ホルモンを刺激する文章にする」という方向性が定まりました。

この短編集、基本的には映像作品をノベライズしたものらしく、原文はビジュアライズしやすいのですが、日本の作品と違って表現に“趣”も“艶”もない……つまり単刀直入なのです。秘部の名称も普通に女子トークや夫婦間の会話に出てくる単語だし、行為の描写もそのものズバリ。

そのまま訳したらキツいし味気ないので、秘部と行為の表現をリサーチしまくり、物語の場面ごとに変わる熱量に合う表現を採用するように努力しました。これが辛くもあり、楽しくもあり。

物語のトーンに合う文章を考え、場面の熱量に合う言葉を選択し、読者の下半身をムズムズさせる表現を紡いでいく…なんて作業はそうそうあるものではありません。これが楽しくなくてどうする?(笑)

作業を続けていて気づいたのは、これは翻訳というよりもローカライゼーション作業に近いことです。普通、小説は作者の言葉遣いや内容を第一に尊重します。がー、こと官能小説に関して言えば、作者の言葉遣いをそのまま訳しても日本人読者には響かない確率が非常に高いのです。

近年は、男性向けの内容がキツくて、女性向けを読む男性読者も増えているらしいので、“女性向け”と謳っているとはいえ、男女関係なく「マイルドな官能小説」という立ち位置と言えるのかもしれません。

翻訳技術の面で言えることは、「そのものズバリの単語から連想ゲームをする」くらいです。そこでしっくりくる言葉を見つけると、自ずと全体の流れやトーンが見えてきます。

ところが、まだ翻訳作業が続いている中、もう一人の翻訳者が納品した作品の校正を頼まれたので、自分の翻訳作業が終わってから行うことを条件に引き受けました。他の翻訳者の表現がどんなものかにも興味があったので。

この翻訳者さん、見事にそのままズバリの翻訳で「男性向けか、これ?」って感じ。その上、「それ、あれ、これ」の指示代名詞オンパレードでぼやけた不思議な文章になっていました。さらに、語尾の重複はもちろん、内容的に「ん? どうして突然こんなふうになるの?」な部分も多発。

仕方がないので、オリジナルと照らし合わせながら直していったら、最終的に80%リライトする羽目になりました。それも、その翻訳者のそのものズバリな表現スタイルは残しつつ、誤訳を訂正して、日本語の文章らしからぬ不思議な言葉配置と全体的な流れを整えただけなのに……OMG!!

翻訳と一口に言っても、分野によって独自の言葉遣い、スタイル、制約があります。お仕事を受けたら、第一にその点をリサーチして確認しないとクライアントが満足する出来にはなりません。翻訳とは一つの言語を他の言語で置き換えるだけでなく、相手が求めるスタイル内で表現するもの…と考えるべきと学んだのがこのお仕事でした。

ただ、この官能短編集の日本語版は、いつの間にか出版社のサイトから消えていて、現在は確認することができません。TLコミックの原作になり得る面白さがあったのに残念です。

あと、今度機会があれば、日本語の官能小説を英語にしてみたいと思っています。そういうお仕事ないかな〜。

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