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プレイバック百恵ちゃん

2月の第3周目にあったことー。

録画していたNHKの「伝説のコンサート 山口百恵 1980 10.5 日本武道館」を正座して見る。私は子どもの頃から、百恵ちゃんのファンであった。淳子ちゃんでもキャンディーズでもなかった。

映像の中の百恵ちゃんは、神々しく美しかった。結婚を控えた21歳に幼稚さはなく、そして引退の感傷にも浸らず、大人の女性として、堂々とした歌いっぷりだった。


百恵ちゃんの、「幸の薄さ」を帯びた「地味」な美しさが好きだった。

ドラマ「赤いシリーズ」などは、今は亡き母が食い入るようにみつめる横で、私は百恵ちゃんと、彼女が演じる悲劇のヒロインを同化させて、幼い涙を流した。

もちろん、口ずさむのは百恵ちゃんの歌謡曲。
「あなたに~おんなのこのいちばんたいせつなぁ~ものをあげるわ~」と。
そして、こうも歌っていた。
「いっけなーいむすめだとうわさされてもい~い~」

デビュー当時の百恵ちゃんは、「幼い性」「青い性」を連想させる曲を歌っていた。正しくは「歌わされていた」のだけれど。少女の無知を利用して、その性を搾取する男の姿が、歌詞の裏側に見えなくもない。

その後の百恵ちゃんは一皮むけて、ますます私の憧れになった。
「バカにしないでよぉー」と歌い、「はっきりカタをつけてよ」と叫び、
「坊や、いったい何を学んできたの?」と男に問い掛けた。
小学生の少女には、刺激的な言葉だった。
私は百恵ちゃんを通じて「女性の目覚め」を学んでいたのだと、思う。

母は、百恵ちゃんが結婚して家庭に入るのをとても喜び、
「あなたもトモカズさんみたいなオトコマエと結婚して、幸せになるのよ」と私に諭した。
その言葉には、「女は結婚したら、専業主婦になって夫を支え、子どもを育てるものよ」という意味が含まれていたに違いない。

これは、いけなかったなあ笑
百恵ちゃんの結婚、引退はそんな単純な話じゃない。

「百恵ちゃんが幸せになればいいなあ」と、あの頃の私は、ステージにポツンと置かれた白いマイクを見詰めて願った。

今は、40年前の映像を見ながら感慨にふける。

百恵ちゃんが完全引退せず、仕事を続ける道を選んだなら、
日本の女性を取り巻く環境は、今とは違っただろうかとー。

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