記憶の扉をひらくとき
ここ数日で一気に気温が上がり、体がそれについていこうと毎日必死です。
薫る風の季節は一年の中でも好きな時期ですが、あっという間に過ぎて行ってしまったように感じます。
先日ふと、懐かしい人に連絡を取ってみました。
最後に会ったのはもう数年前、感染症が流行し出すよりももっと前です。
メッセージを打ち終える。
どきどき。
こんな文でいいのかな。
最悪、返事が来なかったらどうしよう…
時計の秒針が少しずつ進んでいく、私の中ではよくあるあるな時間。
えいっ!と送信ボタンをぽちっとな。
ふぅ。
・・・・・。
メッセージを送り、十数分後。
最悪の予想はあっという間に良い意味で裏切られ、
スマホの画面には返信の通知が入りました。
たった数行の文章に思わず泣いてしまいました。
返事が来ないかもしれない、という思いの裏には
面倒だなと思われているかもしれない
色々迷惑をかけてしまったことがあるから、
嫌われちゃってるかな。
そもそも私の事なんてとうに忘れているのかもしれない
もしそうだとしたらとても悲しい。
返事が来たときの涙は
単純に返事をもらえて嬉しい
返事が来たことへの安心感。
こうしてその人と連絡のやり取りをすることが懐かしい
その人とのあたたかな思い出が脳裏によぎったから
自分にとって大切な存在なのだと、改めて認識したから。
・・・書き出して眺めてみると、我ながら???となる部分がありますが(苦笑)たった一つの出来事に対して、こんなに色々な思考や気持ちが湧いてくるものだとは。
連絡のお相手は中学時代の担任の先生です。
中学のときは本当にお世話になりました。
以前と比べて記憶は色あせつつありますが、本当に大切な記憶はいまも心に残っているもので。
その記憶が久々に鮮やかさを取り戻していきました。
* * * * *
当時の自分はまあ・・・おとなしい問題児、という言い方がいいのか分かりませんが、目立つ行動はしないけれど諸々の問題を抱え、先生方には色々と手を焼かせた子どもでした。
いま、子どもの支援者として色々な悩みや問題を抱えた子どもと関わっていますが、目の前に当時の自分がいたとしたら・・・。お手上げとは言わなくとも、難癖のあるこどもだなって感じると思う(苦笑)
衝動的で感情のコントロールができず、教室から脱け出したり、不適切な行動で先生の気を引こうとしたり、自分を傷つけたり。
でもそれは、自分なりのSOSの発し方だったのではないか・・・
苦しい。でもどう、言葉にしていいか分からない。
言葉にできないから、気が済むまで泣く。
居てもたってもいられなくて、その場から逃げる。
そんな自分に根気強く関わってくれたのが、その先生。
あまりにも気を引く行動がエスカレートして怒られたこともあったけど、何かあるといつも「どうしたの?」と気にかけてくださっていました。
次第に私も心を打ち明けるようになって、それまでは自分の気持ちを言葉にし、人に伝えるということができずにいたのが、少しずつ、少しずつ、自分の思いを話せるようになったのでした。
上手く話せなくてもそれを責めず、急かさず、待っていてくれる。
自分の本音を言葉にできたときに、そのことを褒めてくれた。
そんな風に接してくれたことで私は
「自分のことを大事にしてもらえた」
と心から強く思ったものでした。
* * * * *
そんな過去があって、今の自分があるのだな。
こんな自分でも誰かに大事にしてもらえた。
その、大きな安心感と、感謝の想いと。
その先生みたいになれたらいいなという願望と
でも現実はそんな甘いものじゃないぞって
普段の自分を思い返して落胆したり・・・
うぅ…頭の中が忙しいです。
ひょんなことから、開いた記憶の扉。
出来事と感情が繋がり、当時をありありと思い出す。
そのときの映像や音声が脳裏によぎる。
それは今のわたしを形作った大きな土台で、今を生きる原動力となっているもの。そのことを改めて思い出した、今日この頃です。
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