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「ふつうのしあわせ」を受け入れられない病

ずっと自分に自信がなかったので、「どうも自分は人よりもがんばらなくちゃいけないらしい」と自分に付加価値をつけるために動いてきたつもりだった。

こんな自分は誰にも好きになってもらえない。でも、価値をつければきっと大丈夫。という具合に。

「自分には価値がない」という思い込みが、わたしを突き動かしていたのだ。

でも最近、「無価値」な自分を好きでいてくれる人が出てきて、うっかり「自分には何もなくても良いのかもしれない」なんて思ってしまって、燃え尽き症候群みたいになった。

そのままの、なんでもない、何ならマイナスな自分を肯定されたら、訳がわからなくなった。

「そのままでいいのか」と思ったら、嬉しくて堪らないのに何をがんばったらいいのかわからなくなった。

それまでは、たとえば資格に合格するとか、大きな仕事が評価されたりだとか、「できた!」で自分の価値がひとつ上がった瞬間に感じていたしあわせ。

それが、「やさしいともだち」とか、「おいしいごはん」とか、「あったかいお風呂」で満たされるようになってしまった。

めちゃくちゃふつうだ。

こんなちっさいことでしあわせを感じちゃダメでしょう。こんなちっさいことで感じていたら、自分に価値をつけようと思えなくなってしまう。がんばろうと思えなくなってしまう。

それが怖くて、うまくふつうのしあわせを噛みしめられない、というよくわからない悩みを抱えている。

これがふつうの感覚なんだろうか。

適度に働いて、適度に休んで、適度に発信をして。そんなので良いんだろうか。甘い自分と、厳しい自分が鬩ぎ合っている。

しあわせなはずなのに、ガソリンが切れていくような。

ずっと走り続けてきたから、うまくブレーキをかけられずに、とぼとぼと歩いているような気持ち。

ふわふわする。

一過性のものなら良いのだけれど。

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