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「割り切ること」が大人じゃないって思いたいよ

悔しい!!!!!! 嫌だ!!!!

…って思うこと、日常のなかで多々あると思うんだけど、その「悔しさ」「嫌」をどう消化するのかが変わってきたような気がする。

前までは悔しいことや嫌なことがあっても、せいぜい友だちにこぼしまくったうえで、デトックスする程度だった。

「そうだよね、仕方がないこともあるよね。最終的に受け入れることが大人だよね」

なんて自分に言い聞かせて飲み込むこともあった。とりあえず愚痴ったしいいかぁ、と。別にわたしがああだこうだ言ったところで、何も起きないし。仕事には特に支障がないし。

というか、たぶんモヤモヤしているのはわたしだけであって、感情論だけで引っ掻き回すのはよろしくない。落ち着け落ち着け。という具合に。

でも、最近ではその「悔しい!!!!」をいい意味で飲み込まなくなった。

「悔しいです!!!」とまわりに言ったうえで、じゃあ何がしたいのか、どうしてそんな事態になってしまったのかをきちんと詰めて考えられるようになったのだ。

これは一見普通のことかもしれないけど、わたしにとっては大きな一歩である。割り切れないことはたくさんあるけど、それに対して意思表明できるようになったのだから。

特にフリーランスになってからは、あまり我儘を言って困らせてはいけないと思っていた。適切なアウトプットができればそれでいい。たとえ納得のできないことがあったとしても。

でも、その感情を閉じ込めることで、なにか自分のなかで大切なものが壊れるような気がした。

これを「子ども」と揶揄するのなら、わたしは子どものままでもいいのかもしれない。とにかく「嫌なもんは嫌」なのである。

「わたしは嫌でした」と言いたい。そして、そう言える環境で働きたい。それを背伸びした目標だなんて思いたくないな。

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