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「我慢料」の仕事なんかしたくない

まずは軽く自己紹介。新卒入社の会社で事務を6年勤めて退社し、5ヶ月間の無職の後、また事務職の正社員で入社したが、試用期間3ヶ月を経て、「業務スキルがこちらの求めるレベルに満たないので、正社員登用は難しいです」と言われ、再就職は実現せず、現在は短期間のパート勤務をしている20代です。

まぁ、私は1社目を辞める時に「次の就職先を決めずに」辞めたので、その選択の先に、こういった不安定な状況が起こっているのだろうと思う。2社目に入った会社で試用期間後は「お断り」をされた訳だが、本心では私も「嫌だ」と思っていたから、そういう意味ではお互いに「合ってない」ということなんだろう。

その話はいいとして、私は、1社目を退職した時も、今回の2社目で勤めていた時も、ずっと思っていた。「ほんっとうに、コレって我慢だよなぁ」と。いつも同じ時間に会社に行かされて、最低8時間+残業の時間を会社に捧げ、身体はずっとパソコンの前に一ヵ所に固定されたままで、悲しくても嬉しいことがあっても、そんな心情は関係なく「会社の仕事」をしなければならない。プラス、人間関係のストレスがあると、本当に「耐えることが仕事」になる。いつも思っていたけど、『身体をそこに置いて、頭の中は「自分で考えることをせず、ただ何も考えないように」作業に集中すること』が仕事なんてものすごく価値の低いことをしている気分だった。実際に、それって価値の低いことだと思う、だから、給与もそれに応じた金額だ。そう考えると、すごく合理的だけど。
そう思って、1社目の退職理由は「会社に縛られない働き方がしたい」だった。

でも、実際に会社を退職すると、「自分で稼ぐ方法が無い・分からない」ということに気付く。逆に考えると、それが皆できない・分からないから会社に勤めているのかもしれない。
フリーランスになるとか、何かのスペシャリストになるとかで稼げるようになったら、自分の裁量で仕事ができるかもしれないけど、そうは言ってもそれは「今すぐにできる」方法ではない。スキルを取得するのにも、ゆくゆくはフリーランスになるにしても、そこまでの道のりがある、だからそれまでは下積みだから「その間の収入」が必要。貯金が膨大にあるなら未来への投資のためだけにお金と時間を使えるけど、そうではなかったから、「今の生活費のための収入源が必要」で、そのために今できることは「時間を売る仕事=就職」しかないという結論に行き当たった。

これがもうすごく逃げ場の無い道に感じたというか・・・

私が知る限りでは、成功している人(収入も時間も自分でコントロールできて幸せに生きている人)っていうのは、「会社勤めをしてない人」であると思う。自分でビジネスをおこしたり、お金を生み出す方法を手に入れているとか、または投資家など。
会社勤めをしてたら、少なくとも、「時間」は絶対に売らないといけないと思う。どの求人を見てもそうだから。短い時間しか働きたくないなら、パート勤務になるしその分収入も減る。そういう仕組みしか、会社勤めの世界には無い。

そしてそもそも考えてみれば、会社というのは「経営者の資産増の手段」なのであるから、従業員は「会社の利益のための手段」で、従業員側に自由はなく、会社の都合に従わなければならない。
私は精神的にこれがすごく窮屈で、ものすごく「私じゃなくても良い」と感じていて「私の人生とは関係ない」と感じてた。なぜ、こんなに窮屈で苦しいのだろうか、我慢ばかりなのだろうかと新卒入社からずっと抱えていた気持ちだったが、それは「自分のビジネスじゃなく他人のビジネスをしているから」というか「他人のビジネスの一部だから」であると今は思う。

それが「当たり前」「それしか働き方がない」のなら、こんな疑問は持たなかったかもしれない。けれど昨今はSNSが普及し、インターネットの世界で仕事をして稼いでいる人も沢山いる。そういったことに触れる瞬間が増え、客観的に会社勤めに対して「これは我慢業だな」と思う気持ちが強くなった。

私は現在、転職活動(をしなければ収入が手に入らないと自分に言い聞かせている)中で、尊敬する知人で個人事業主の男性Kさんに、相談してみた。
「やりたい仕事がしたいけど、分からない…っていうか、そもそも会社勤めが嫌なんですよね。」と。
すると、「オーナーの人がやりたくないことを”代わりにやって。”っていうのが労働なんだよ。だからやりたい仕事なんて無いんだよ。自分がオーナーにならない限りはね。」と、言われた。
すっごく、腑に落ちて、なるほどなー!と感心した。

「オーナーの人がやりたくないことを代わりにやるのが従業員」。。。そう考えると、だから仕事が楽しいものではないんだ、我慢の作業なんだという感覚に納得がいく。労働者は、経営者のためにお手伝いをしているだけなんだ …
あと、Kさんはこうも言った。「いつの時代も、価値提供できる人間になれれば、お金は集まる。リンゴが欲しかったら、スーパーに買いに行くでしょ。でも、家にリンゴの木があったら、お金のなる木を育ててるってことよ。」と。
だから、要は、私がいま、「価値提供できる人間」として自分のリンゴの木を育てて人に与えることができないから、他人の畑の手伝いをしてその利益の一部をもらっているということである。どこまで行っても、他人の畑は他人の所有物で、だから私の時間も労力も、他人のものになってしまっている。

この構造が、おかしいってもっと早く気づきたかったなぁ。学生のうちに。。いえ、おかしくはないけど、「自分の人生」を一番優先的に考えたら、「就職」という行為が、「他人の畑を耕すこと。他人に自分の時間・体力・気力の大部分を売るってこと」で、自分が我慢しないといけないということだと知ったら、何か手立てが打てないか考えていたかもしれない。

よく、本や歌詞などで「自分の人生は自分が主人公」とか「ありのままの自分で生きよう」とかの言葉を聴いたり目にしたりするけれど、会社勤めをしている限り、一日の多くの時間は仕事に捧げているし、その時の主人公は自分じゃないし、会社に従い上司に従って生きている時間が多いのに、”ありのまま”の自分で生きれる人生って、すごく難しいですよ、と思う。
「会社の支配下にない時間で」ありのままにやりたい事をできれば良いのかもしれないけど、その時間自体少ない。体力も減っている。
だからこの構造の中から抜け出して、自分軸の働き方をしない限り、「我慢の対価としての働き方」からは逃げられなくて、その方法の発掘も難しい(仕事をしながらだと時間・体力が足りなくて、仕事を辞めると収入源が途絶えてそもそも生活が厳しくなる)し、すごく個人にとって生きづらい社会のように感じる。

私は我慢強いほうだと思っていたから「耐えて」、それが仕事だと思っていたけど、それは仕事として大きな価値を生み出していないから実は耐えてもそこまでの価値はなかった、ただ、従事していただけだ、と今では思うようになった。
会社勤めを否定する気は無いが、そもそも論として「他人のビジネスだから自分が真に価値を提供できるのか」という疑問もあるし、我慢の度合いによっては、それは仕事というより奴隷ではないかとも思う。

現在も、働き方については模索中すぎる状況であるが、根本的な社会の仕組みを理解してきた中で、考え方は以前とは変わりつつある。
あとは自分の納得のいく働き方に近づければ良いと思う。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございました🍀✨

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