奨学金地獄から私を救った人
先日の国会で、日本の奨学金の負担が議題に取り上げられていた。
このニュースを聞き、私は1人の男性を思い出した。
未熟な学生だった私に、利害関係を超えて真摯に向き合ってくれた大人。今日はその人について書こうと思う。
大学進学後の奨学金デビュー
私は大学進学後の3年生になった折に、奨学金を借りた。大学費用と就職活動費用を賄うためだ。
私の家は貧困家庭でなかった。両親は正社員共働きで、旅行もイベントもそれなりに楽しめていた。習い事も部活も通っていた。
ただ余裕はなかったと思う。事あるごとに「うちは裕福じゃないからね」と釘を刺された。後にわかったことだが、両親は私の大学進学のために教育ローンを組んでいた。
そして大学に入学した2008年。あのリーマンショックがあった。子どもから見ても家計が厳しくなっているのは感じたし、妹の進学も迫っていた。父は「大学費用が高い」と頻繁に愚痴るようになった。
さすがに居心地の悪さを覚えていた私は、大学構内であるチラシを手に入れる。奨学金説明会のチラシだ。そこには「進学後でも借りれます!」とでかでかと書かれていた。
同じような境遇の友人と説明会に申し込んだ。当日、会場である大きな教室にはかなりの人数の学生がいた。
ある年配の担当者がマイクを手に壇上に上がる。他の担当者は資料を配る。私も含めて、学生たちはぼんやり手元に届いた資料を眺めていた。
「ではこれから奨学金の説明会を開始します」
ロボットのような声で話は始まって、あっという間に終わってしまった。
その後、書類審査と面談があった。私は無事、月12万円の奨学金を借りることができた。
気付かされた、その重み
奨学金を受け取り始めて、半年ほど経ったころだろうか。
大学の奨学金を管轄する課から面談が設定された。詳細な理由は思い出せないのだが、次年度の奨学金条件の確認だったと思う。
何も考えずに当日、指定された教室を訪れた。部屋にはきっちりとしたスーツ姿の、30代前後に見える男性担当者が着席していた。仮にAさんとしよう。
「どうぞ」
促されるまま着席すると、Aさんは開口一番、こう言った。
「今の貸与金額を2年間借り続けたら、どれだけの額になるか理解はしてます?」
キョトンとしてしまった。恥ずかしながら一度も総額を考えたことがなかったのだ。単純に考えて12万円×12ヶ月×2年間。返済総額は288万円である。
私の狐につままれたような顔を見て、Aさんはゆっくりと話しかけた。
「奨学金なんて言ってますが、これは借金です。あなたが働いて返さなきゃいけない。もし月1万円ずつ返すなら24年かかります。あなたが47歳になって完済。想像できていますか?」
1年浪人して入学した私は当時22歳。自分が45歳を過ぎてまで奨学金を返し続けているなんて、まったく想像していなかった。
「知りませんでした……。どうしよう」
つぶやくように答えてしまった私に、Aさんは返事をする。
「貸与金額の途中減額申請は増額よりも簡単にできますよ。一度よく考えて、減額を検討してください。今なら間に合います、大丈夫」
そう言い終わると、Aさんは少し笑った。
私には、彼が神様のように見えた。
「ありがとうございます。すごく、すごく助かりました」
30分ほどの面談を終え、深々と頭を下げて部屋を出た。
減額申請用書類を抱き締めるように持った私。廊下の窓からは、秋の日差しが降り注いでいた。
30分の面談が人生を変えた
その後、両親に相談して深夜バイトを増やし、奨学金を月5万円に減額した。就活費用は会社数を絞ったり、スーツなどを中古で揃えたり、高速バス移動を利用したりと、工夫して抑えることで乗り切った。
来年、36歳目前で私は奨学金を完済する。約13年かかったけど、一度も滞納することはなかった。夫も奨学金を借りているが、子供も2人産み育てることができている。
もしあの面談がなかったら。Aさんが未熟な私に、未来を具体的に想像することを示してくれていなかったら。
私はきっと、何かを諦めていたに違いない。
実際、友人には多額の奨学金によって転職や結婚を諦めた人がいるのだ。Aさんには本当に感謝の気持ちしかない。
今、奨学金を借りている学生や借りようとしている学生に、現実的な未来を示してくれる大人がいることを願ってやまない。
私もそんな大人でありたいし、このnoteを通して1人でも奨学金について考えるきっかけになればうれしい。
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